天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

葡萄

スチューベン種

 日本にも野生種があるが、ヨーロッパ系の栽培品種は、中国経由で鎌倉時代に日本に伝来した。その象徴するものは、ヨーロッパにおいては、(1)酩酊、祭、歓待 (2)実り(カナンの地よりもたらされた) (3)喜び、欲望 (4)生贄、聖体 (5)若さ、復活 (6)次の人物の持ち物: モーゼ、キリスト 他。


  沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ
                      斎藤茂吉
  うすらなる空気の中に実りゐる葡萄の重さはかりがたしも
                      葛原妙子
  日本になほたのしみて葡萄吸ふ老婆ら、赤き舌ひらめかせ
                      塚本邦雄
  父よその背後はるかにあらわれてはげしく葡萄を踏む父祖の群れ
                      岡井 隆
  童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
                      春日井 建

  
ちなみに、北原白秋は、西洋の人名・事物の名称を短歌に多く詠みこんだ。特に『桐の花』において。キリシタンについても関心は強かったようだが、聖書に出てくる事物に深く立ち入ることはなかったようである。葡萄については、ほんの数首に取り上げているだけである。次の二首は歌集『白南風』から。

  破れはててむなしき鳥屋の葡萄棚葡萄の房は垂りそめにけり  
  房ながらまろき葡萄は仰向きて月の光にうちかざし食む


わが国の歌人で、葡萄を最も多く詠んだのは、葛原妙子の『葡萄木立』である。その後記には、次の下りがある。

「・・・イスラエルびとの切りとつたエシコルの谷の葡萄の大きさ重さは、ふと人間の宿命の、また忍苦の重さとも思はれるが、ときを選ばず葡萄の大きな玉がみえるとき、私にはまた別の思ひがある。それは生存そのものの中にるる含まれる妖、つまり無気味なものとの対面を意味する。・・・」