天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

ゆりの花

ゆりの花

 この時期、山辺によく百合を見かけるが、百合はわが国でもずいぶん古くからあったらしい。
万葉集にも十一首ほどある。「後(ゆり)」という言葉との組み合わせが多い。
  路の辺の草深百合の後(ゆり)にとふ妹が命を
  われ知らめやも      柿本人麿歌集                  
  あぶら火の光に見ゆるわが蘰(かづら)さ百合の花の
  笑まはしきかも      大伴家持            
  筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹そ昼も
  愛しけ


俳句ではどうか。芭蕉や蕪村はどう詠っているか、全集を見てみたが、芭蕉には百合の句が無いようだ。蕪村は、次の二句を作っている。
     朱硯に露かたぶけよ百合花
     かりそめに早百合生ケたり谷の房


西洋でも百合は、薔薇と並んで人気がある。百合はキリスト教と深い関係がある。聖母マリアの純潔のシンボルなのである。

 ここまでは、百合は気品のある清楚なものの形容として扱われている。ところが、現代短歌になるとその象徴するものがガラリと変る。その典型が塚本邦雄の歌。
  ダマスクス生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物

もう少し若い世代では、加藤治郎の歌。
  もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに


     百合咲くもつつかひ棒の山路かな
     鳥影の木の間は暗しゆりの花