天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

朝夷奈峠

朝夷奈切通し

 鎌倉七口と呼ばれる七箇所の切通しのうち、朝夷奈切通しは最も険阻な路である。鎌倉側の入り口に、昭和十六年三月に鎌倉青年団が建立した石碑がある。碑文の内容を口語に分りやすく紹介すると次のようになる。
 「朝夷奈切通しは、鎌倉から六浦へ通じる要衝に当たり、大切通切通の二つがあった。土俗の言い伝えでは、朝夷奈三郎義秀が一夜の内に切り抜けたことでその名が残っている。だが、東鑑によると、仁治元年(皇紀1900)十一月に、鎌倉六浦間道路開鑿の議定があって、翌二年四月に工事にとりかかり、執権北條泰時が臨場し、諸人群衆して皆土石を運んだ、とある。この切通しはつまりその頃に開通したものと思料される。」

 当時の六浦は塩の産地であり、安房・上総・下総等の関東地方をはじめ唐からの物資集散の港であった。船で運ばれた各地の物資は、この切通しを越えて鎌倉に入った。六浦港の政治的・経済的価値は倍増したのである。
 この辺りの山からしたたり出た水が集まって太刀洗川になる。


     うぐひすや水したたれる切通
     したたりて太刀洗川流れ出づ
     朝夷奈や梅雨にぬかるむ切通
     馬おりて武者太刀洗ふ夏木立
     老鶯の笑ひ声する切通
     切通越えて尿する夏木立
     塩積める牛はげますや夏木立
     馬下りて太刀洗川秋茜
     霊園に日傘入りゆく峠かな


  がうがうと頭上ゆきかふ自動車をいとひて越えし切り出しの路
  ぬかるみを徒歩にて越えし切通 帰りはバスの朝夷奈峠