天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌人・東京歌会

 昼前に上野に出かけたが、不忍池を巡ると残暑の日射しに気が遠くなるほどであった。


     パン屑を撒きて手招く水の秋
     パン屑に亀もよりくる水の秋
     パン屑に大いなる口水の秋
     ザリガニが水面に跳ぬる残暑かな
     くるま座に擂鉢山の蝉しぐれ

  青みどろ上野の池をさはがせてアベックがこぐ白鳥ボート
  余念なく毛づくろひせる鴨のゐてバタバタ漕げる白鳥ボート
  アベックが嬌声あげてボートこぐ鴨棲みつける不忍池
  青き目の女がつかふ割箸をしばし見てゐつ不忍池
  不忍池に残暑の陽は射してダリの時計となりにけるかも
  ダリの顔上野の森に現れて壁に貼り付く つくつく法師
  秋の夜の煙草点せり東海道鉄砲宿の松の木の下


 歌会の初めは、暑さで皆ぐったりしているせいか、発言が少ない。三時過ぎてからやっと発言が多くなり騒がしくなってきた。以下に、好評であった歌を三首あげる。

  治療する医師がかすかに「ア」を発しわが身はせつなその「ア」に
  応ふ
  *「ア」の表記がよいかどうか? 「あ」の方がよくは
   ないか、などのコメントがあったが、状況がよく理解
   できて共感を呼んだ。


  ドライブで窓を開けては叱られた革のシートが何より大事
  *親子ではなく当然恋人関係にあったふたりであろう。
   別れた後の彼の思い出、と読む。ただ、窓を開けたくらいで
   シートが傷むという事態はちょっと考えにくい。雨でも降って
   いたのか、まさか外気環境の汚染地区をドライブしていたわけ
   ではあるまい。


  スイッチ・バックに登る電車の谷側にとほき切妻みえつ
  かくれつ
  *歌会最後の歌であるが、谷村はるかが良い歌との批評を
   したので、皆納得した感じ。小池光は切妻という感じから、
   屋根のことながら、その下に住む妻を感じさせる、と
   コメント。


 ちなみに小池光の詠草は次のもの。
  秋田マタギ津軽マタギと邂逅す天狗の平あめのむらくも
  *マタギはもはやいない、とかマタギの子孫が民宿をやって
   いるのだ、とか余談にながれて、歌の批評がまともになさ
   れなかった。
   「あめのむらくも」をどう解釈するかにわが関心はあった
   のだが、誰も言及しなかった。邂逅したことの状況は、決して
   喜ばしい事態ではなく、険悪な状況を思わせる。昔は、マタギ
   の間では境界を巡って小競り合いがあったはずである。