天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

年始御挨拶

明けましておめでとうございます!今年もどうぞよろしく。
            

 元日を詠んだ歌は多いが、今年は、以下の二作品をあげたい。


  寝ごころやいづちともなく春は来ぬ    蕪村

  *「寝ごころや」とは、気がつかないうちに、といった
   ほどの意味。この駘蕩とした気分はいかにも俳句の境地である。
   与謝蕪村五十四歳。


  新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事 家持  
  *万葉集・巻二十にあるあまりに有名な大伴家持最後の歌である。
   万葉集での表記は、
   新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰

   読み方は、
   あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの 
   いやしけよごと

   天平勝宝三年正月一日、因幡の国庁で、国司大伴家持が部下の
   郡司等を集めて、新年の饗宴を催している時の歌。辺境の地で
   迎えた新年の述懐である。凋落してゆく大伴氏の長として為す
   すべもなく、失意のどん底にあった。家持四十二歳。この後の
   家持の歌はない。


子規の『俳人蕪村』をベースに蕪村俳句の特徴を自家薬籠中のものとしたい。短歌では、家持の歌に帰って、瑞々しい詩の作りを学ぶよすがとしたい。