天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

諏訪神社

 遊行寺の傍、東海道を挟んで向かい側に諏訪神社がある。正月の参拝では、ほとんどの人が、両方に出むく。諏訪神社は、全国に五千有余を数えるが、これは諏訪信仰による。即ち、長野県の諏訪大社の祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)と妻の八坂刀売神(やさかとめのかみ)の分身を土地土地に迎えて祀る。では、何故この二神が尊ばれるのか。神話を教えられない現代人には、まったくわからなくなっている。
天照大神の弟、須佐之男命は高天原を追われて出雲に下ってきたが、その子孫に大国主命があり、その第二子に諏訪神社の祭神となった建御名方神がある。彼は兄の事代主命と共に父の大国主命を助けて国土経営に力を尽くした。つまり諏訪信仰は、国土経営に尽力した神とその妻を尊崇する習慣である。子々孫々が暮らす土着の地の人々にとっては、当然の信仰であった。
 地方都市の人口を増やし、地方経済を活性化させる政策が現代日本の大きな課題であるが、諏訪信仰を現代的視点で見直すと、この課題に対する貴重なヒントが得られるような気がする。
昨夜のNHKスペシャルで、活性化した地方の例を放映していたが、これが現代的視点という意味である。
 そして、神話に出てくる歌謡が、わが国の詩の根源にある。そのすばらしさを省みたいと思うのだ。


  八雲立つ 出雲八重垣。妻籠みに 八重垣作る。その八重垣を。


  沖つ鳥 鴨どく島に わが率寝し 妹は忘れじ。世の尽に。


  狭井河よ 雲立ち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす。


  さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 
  問ひし君はも。


  倭は 国のまほろば。畳なづく 青垣。山隠れる 倭し美し。