天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

梅の花のうた

 梅の花が盛りを迎えつつある。紀元700年頃に中国から渡来したらしい。歳時記を見ると、好文木、花の兄、春告草、香散見草、匂草、風待草、香栄草、初名草 などの別名がある。万葉集には、萩に次いでよく詠われており、119首があるという。和歌ではもっぱら白梅が詠まれた。


  ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを
                     万葉集・大伴百代
  おほぞらは生めのにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜の月
                     新古今集藤原定家
  ひと晩に咲かせてみむと、梅の鉢を火に焙りしが、咲かざりしかな
                     悲しき玩具・石川啄木


      梅若菜まりこの宿のとろろ汁     芭蕉
      梅咲きぬわれらが宿のとろろ汁    蕪村


蕪村は芭蕉の句を踏まえて、まりこの宿まで行かなくとも、梅の咲いたわれらの宿のとろろ汁で、十分芭蕉の気分が味わえるよ、と詠んだ。梅の花は、古典で盛んに読まれたせいか、芭蕉、蕪村共に梅の花の作品が大変多い。  
 書店で角川「俳句」二月号をパラパラ見ていたら、特集「新素材を詠んで新境地を拓く」で藤原龍一郎が一文を寄せていたので、つい買ってしまった。それは後日ふれるとして、「梅を詠む面白さと難しさ」という入門特集もあり、そこに何人かの論者が、飯田龍太の次の句を引用している。

      白梅のあと紅梅の深空あり     龍太


この句の鑑賞では、白梅のほうが紅梅より早く咲く、と解釈するのだが、わが目にした実際とは逆なのだ。つまり、熱海梅林でも横浜三渓園でも鎌倉でも紅梅の方が一週間は早く咲いている。梅の種類によるか、とも思うが句の情景と実際とが違う場合があると、龍太の俳句を名句と持ち上げるわけにはいかなくなる。