天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

嗚呼、安土城

上:天守閣跡 下:信長廟

 春の雪が降る中、安土城址に登ってきた。大手道の上り口、左手には羽柴秀吉邸跡と伝える石垣が連なる。敷地は相当立派であり、当時の秀吉の地位が容易に想像される。雪の積もった急峻な石段を登って天守閣跡に立った時、はじめてこの城の地理的意義が理解できた。眼下には琵琶湖につながる「西の湖」がすぐ近くまで入り込んできている。水運の便が良かったのだ。安土山に立つ五層七階の天守閣は、高さが四十五メートルあった。この最上部五階と六階が、山のふもとの「信長の館」に納まっている。これは、1992年の「スペイン・セビリア万国博覧会」で原寸大に復元され、日本館に展示されたものを安土町が譲り受けて移築した。
 天守閣のすぐ下に天皇行幸の際の御座所があったという。天皇制に対する信長の考え方がうかがえる。
 安土城については、次のURLに詳しい。
 http://siro.parfait.ne.jp/aduti/doqu/guide/Azuchi_guide.html


      雪ふるや天守炎上おもひ見る
      発掘の安土城跡春の雪
      頭に肩に雪しづり落つ城の址
      信長の廟所はうつろ冬木立
      天守閣炎上跡に雪を食ふ


  閉ざしたる門をすり抜け登りけり春の雪ふる安土城
  雪積める石垣道に息切れす二の丸跡の信長の廟
  雪しづりばさりと落つる木の間には蝮注意の看板が立つ
  石仏も仏足石も築城の礎とせし安土の山に
  信長の信篤くして豪邸を構へたるらし羽柴秀吉
  大手道はさみて向かふ利家と秀吉なれば競ふ豪邸
  雪つめる天守閣跡石垣の眼下ま近く西の湖見ゆ
  天守閣跡の草木につむ雪を食みてうるほす咽喉の渇き
  石垣のつらなる山のいにしへは嗚呼安土城天守閣燃ゆ