短歌の音楽性(続)
NTTの故障サービス係に依頼して、ルータを点検して貰った結果、ハードウェアの故障らしい。とりあえず替わりのものを貸してくれたので、なんとかインターネットにアクセスできる。修理するより、新しいルータを購入する方が安いらしいので、その方向で進めている。
「短歌現代」3月号の特集「一首の音楽」で、小池光の評論「目で聴く音楽」を補完するすばらしい評論に、内藤明の「短歌における音楽性の始原と行方」がある。小池の論を内藤が実例で示した形である。古代歌謡、古典和歌、近代短歌、現代短歌などの例はみな適切で、説得力がある。この二人の評論だけで、今回の特集の意義は十分達成されている。小池の主張は、例えば、以下のような内藤があげる実例を見ればよく納得できる。
ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟
与謝野晶子
漢字の配列といい、文字化されたウタ。
疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、
りぁ、りぁ、 葛原妙子
休止や読点も含めた文字による表現が、風と聖歌の音やリズムを短歌の中に刻む。
馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ
塚本邦雄
77577、「馬」と「人」の頭韻的なリフレインは、上下を並行して対置させ、あたかも旋頭歌のような歌唱性をもつ。さらに例だけをすこし引用しておく。
椰子の葉はあしたの風に羽ばたけり まぷらああ まぱを
まぷるうう まぱを 都築直子
わだつみをほういと飛んでまた一つほういと飛魚の飛ぶよ天草
高野公彦
天井の水滴桶に当たりたり当たりたりて やまぬ 響き
高橋みずほ