天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

臨終句会

 「臨終句会」などあるわけない。わが造語である。でも、自分が死かけているのに集まった弟子たちに発句を作らせて選をした芭蕉の凄まじさには、この言葉を当てるしかない。
 大坂で反目してしつこく芭蕉に來坂を要請してくるふたりの弟子、之道と洒堂を放っておけず、風邪の身を無理して大坂に来た。そして「打込之会」と称する歌仙を頻繁に開催しているうちに、芭蕉の病はついに命に関わるほど重くなった。医師の弟子が処方する薬を飲めど下痢は止まらず、自身で立つこともかなわなくて、弟子が糞尿の世話をする危篤状態になった。芭蕉を案じて集まった弟子たちに、現状を発句に詠ませた。次にそれらをあげる。

      病中のあまりすすろや冬ごもり    去来
      引張つて布団の寒き笑ひ声      惟然
      叱られてつぎの間へ出る寒さ哉    支考
      思ひよる夜伽もしたし冬籠り     正秀
      くじとりて菜飯たかする夜伽哉    木節
      皆子也蓑虫寒く鳴尽す        乙州
      うづくまる薬罐の下のさむさ哉    丈草

 これらの中で芭蕉が賞賛したのが、丈草の「うづくまる薬罐の下のさむさ哉」であった。それぞれにリアリティあり、芭蕉が弟子たちに教えた俳句の極意が垣間見える。

 これらにはおよぶべくもないが、「俳句四季」五月号の茨木和生選に入ったわが句を次にあげる。
      足首の失せし鳩くる日向ぼこ
      [評]日向ぼこをしていると、親しげに鳩が寄ってくる。
         公園での一場面。その中の一羽、足首を失くした
         鳩に目がゆく。釣糸で切れたのか、そんな鳩を
         よく見かける。        茨木和生