前衛短歌と「われ」
佐佐木幸綱著『万葉集の〈われ〉』を読み終えた。なにせ電車に乗っている時だけ読むので時間がかかる。雑誌で連載していた時期に一度読んでいたのだが、本になってまとめて読むと全体がよく理解できる。「終わりに」の章で、前衛短歌と〈われ〉について、寺山修司と塚本邦雄の役割についてふれている。参考までに、例歌を一首づつつけておく。
*前衛短歌運動の先鞭をつけた塚本の『水葬物語』で、塚本は短歌に
一人称代名詞を出さない、私小説のような「われ」の告白や心情の
吐露を断固拒否した。
受胎せむ希ひとおそれ、新緑の夜々妻の掌に針のひかりを
*寺山は、塚本の行き方に共鳴し、現代社会の立場や役割から自由に
なって詠った。変身願望を持ち、出来合いの〈われ〉からの自由を
願った。
亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり
こうした前衛短歌の方法は、漢詩や短歌が〈われ〉の述志の文芸であるという根本思想を覆す革命的な考え方であった。
烏瓜ちらりと赤き木立かな