天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

萱草の花

江ノ島にて

  ユリ科多年草。鬼百合に似た黄赤色の重弁花を開く。ノカンゾウヤブカンゾウヒメカンゾウ、ハマカンゾウユウスゲなどがあるが、通常はヤブカンゾウを指す。ヤブカンゾウは、中国から渡来した帰化植物である。薬用植物の甘草と間違えられやすい。中国では、この花があまりに美しいので憂いを忘れたということで、ワスレグサと呼んだ。なんと詩的な! 夏の季語。


      萱草は随分暑き花の色        荷兮
      萱草や林はづれに牧師館      友岡子郷
      萱草が咲いてきれいな風が吹く   大峯あきら


俳句における写実に関して大きな話題になった句を次にあげる。

      甘草の芽のとびとびのひとならび  高野素十


素十は、虚子の高弟四Sのひとり。素十の句は、客観写生の典型として虚子に賞賛された。この影響で、虚子系統の俳人の間では、対象を凝視する手段として画帳にスケッチすることが流行した。だが、この行き方に疑問を呈したのが飯田龍太だった。龍太によって現代俳句における叙情性が復活した。詳細は別の機会に。


以下は、短歌に詠まれた例。

  わすれ草わが紐に付く香具山の故りにし里を忘れむがため
                       大伴旅人
  それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ
                       山川登美子
  萱草をかなしと見つる日にいまは雨にぬれて行く兵隊が見ゆ
                       斎藤茂吉
  岩の間に昼潮たたへきりぎしに萱草咲きてさびしきところ
                       木下利玄


  断崖の岩の間に咲くユウスゲと色を競へり夕焼けの空