天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

駿府城跡

再現された巽櫓

 駿河国は、室町時代以降、今川氏が治めていた。九代義元の時、徳川家康は人質として七歳から十八歳までの間、駿府で暮した。義元が桶狭間の戦で織田信長にやぶれてから、駿府の領主は、いったん武田氏になり、それを家康が追い出して駿府城を建てた。だが、豊臣時代になると家康は江戸に移封され、豊臣系の中村氏が支配した。
関ヶ原の戦以降は再び家康の手に入り、将軍を秀忠にゆずってからの隠居場所になった。その時駿府城がさらに立派に拡張された。長い江戸時代に駿府城は二度の大火に会った。さらには安政の大地震で壊滅的被害を受けた。その後、城が復旧されることは無かった。
現在、本丸跡の広大な広場は、災害時の市民の避難場所に指定された公園になっている。


      築山は不二をかたどる石蕗の花
      白鳥の影も気高きお濠かな


  家康の住まひし城も今はなく赤き帽子の園児ら遊ぶ
  駿府城風に吹かれてマロニエの枯葉ちるなり馬場先御門
  みせばやと教へられたり駿府城本丸跡の石垣の道
  左手に鷹とまらせて銅像の家康が立つ駿府城
  二度までも大火に遭ひし城なれば今に残れる濠と石垣
  駿府城跡地の隅の県庁舎高くそびえて城下見下す
  住み慣れしところと見えてくつろげり駿府城址の濠の白鳥
  ある時は避難所になる城跡の広場に集ふ遠足の子ら