天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

スポーツを詠む(1)

箱根駅伝

 短歌や俳句に初めてスポーツが詠まれたのは、いつの時代からか?百科事典で調べた。スポーツという言葉が日本語として定着したのは、昭和以降といい、明治、大正期には、運動、競技、運動競技などの言葉が使われた。世界的に見てもスポーツが運動競技を意味するようになったのは、19世紀後半からという。明治以前では、武術(馬術、水練、弓術、剣術、柔術 など)、相撲、蹴鞠を対象とした和歌や俳句があったかどうか、を調べればよかろう。それは次回からということにして、北原白秋『黒檜』に「日本古武道」と題して、居合、弓術、剣道、柔道、薙刀、手裏剣、杖術 などを詠んでいることを紹介しておこう。
昭和十三年九月十五日、ドイツ青少年使節団一行を迎えて、神田国民体育館で、日本武道型大会が開催され、白秋は衰えた視力にも関わらず参観した。そして歌を詠んだ。


  真竹を立身の居合抜く手見せずすぱりずんとぞ切りはなちける
  弓構や差矢前型いざとこそ片折り敷きぬ物見正しく
  真向より打ちおろす太刀電撃のこの太刀風は息もつかせず
  早技とすくふただちのこのきまり大外刈の型のよろしさ
  薙刀の一手ひらめきいつくしき真夏なるなりしづもる塵に


など。痛々しいくらいの熱情が感じられるが、後世に残る作品には成りえていないようだ。大歌人・白秋にしてこうなのだから、スポーツを詠むことはいかにも難しい。