前衛短歌とは
「短歌人」のスピーチタイムというコラムに書く題材の関係で、寺山修司の俳句や短歌についてあらためて調べている。前衛歌人として名高い塚本邦雄や岡井隆の作品を読むと、喩法が駆使されており明らかにそれまでの短歌と違うことがわかる。だが、寺山の短歌はそうでない。多分に土俗的だが、若い頃なら誰でもが詠みそうな内容なのだ。どこが前衛なのか?
三浦雅士著『寺山修司―鏡のなかの言葉―』は、すでに古典的な評論集だが、これを読んで、寺山が何故現代前衛短歌の先駆として位置づけられるか、が十分納得できた。要点を抜き出してみよう。
☆若き寺山修司を魅了したのは、言葉の錬金術としての俳句に
ほかならなかった。言葉のささいな置き換えが、驚くほど大きな
思想や感情の影をかたちづくる。
☆言葉が捉えた思想や感情のなかから自己にふさわしいと思われる
ものを選びだしさらに深めてみせること、いうまでもなくそれは
自分自身という物語を描いてみせることにほかならない。
あえていえばそれは自分自身を捏造するということなのだが、
むろん誰もそう思いはしない。
☆言葉の描き出す幻に興じているうちに、寺山修司は人間もまた幻に
すぎないことを見出してしまったといえよう。
☆俳句から短歌への変容は『初期歌篇』から『田園に死す』まで
万遍なく行き渡っているといってよい。端的にいって、寺山修司に
とって高校生時代の俳句は苗床のようなものであって、寺山修司は
それぞれの歌集にふさわしい苗を選んでは移し変え、それを見事に
育てあげているのだ。
☆まさにはじめに言葉があったのであり、その後に語りたかった
ことが、すなわち思想や感情がやってくるのである。
塚本邦雄において、この前衛の行き方が更に明瞭になった。「もともと短歌といふ定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があらう」 という塚本の有名な言葉がそれである。
なお、岡井隆の場合は、もともとアララギ系の出自なので、寺山や塚本の行き方とは違っている。彼の前衛性は、喩法の導入・駆使ということで理解するのが順当であろう。