天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

柿本人麿の謎

『水底の歌』の挿絵から

 梅原猛の『水底の歌』(新潮文庫)上下巻をやっと読み終えた。まことに血沸き肉踊る論理展開であった。斉藤茂吉の「鴨山考」の無理・間違いを指摘し、契沖、真淵の古今集の曲解と人麿理解の誤謬を批判した。従来の人麿人物像を全く改めたすばらしい論考である。従来の学説は全く無意味になった感がある。梅原猛の論に対抗できる学者は多分いないのではないか。ただ、彼自身が充分論じられなかったこととして柿本人麿の若い頃の履歴をあげている。まあ、人麿に限らず当時の歌人で生涯が分かっている人物はまれなので致し方ない。人麿が歌聖と称えられたのは、単に和歌の達人であった故ではなく、菅原道真と同様に怨霊と考えられていたためなのだ。無実の罪で流罪になり水死したというのが梅原猛の推論である。
 柿本人麿の歌の全貌もなかなか捉え難い。万葉集の歌と麻呂歌集の歌を合わせて百首が全てなのか。奈良を旅して訪れた場所が詠まれた歌には、特に親近感が湧く。


  明日香川明日さへ見むと思へやも我が大君の御名忘れせぬ
  巻向の山辺響みて行く水の水沫の如し世の人吾等(われ)は