川を詠む
短歌人・12月東京歌会では、例年題詠になる。今年の題は「川」。題詠のルールは、単純に考えて、「川」という字が入っていればよい、あるいは川を暗に思わせる歌であればよい、としてある。私が最も惹かれたのは次の一首。
花つけてゐむ過ぎし日の荒草よインジギルカの川のほとりに
小池 光
この歌は、シベリア抑留者が過ごした環境と歳月を思えば、まことに哀切な情を呼び起こす。インジギルカは、ロシアシベリア北東部のサハ共和国を流れる長さ1,726km、流域面積360,000平方kmの川である。鑑賞に知識が必要な歌ではある。
次の歌は、理知が前面に感じられる点、気になるものの、子供は大人になって独立し、奥さんは先に逝ってしまって、今はひとり暮らしの身と想像すれば、これまた心に滲みる。
川の字に寝てゐしころより半世紀過ぎたる今は1の字に寝る
川 明
ところで、わが詠草は次のもの。
仏像を撮るまなざしに故郷(ふるさと)の逆白波を思ふと云へり
山形県酒田市出身の写真家・土門 拳が仏像を写真に撮る時の凄まじい気迫は、最上川の逆白波を思わせる、と表現した同郷の評論家・佐高 信を詠ったのだが、土門 拳まで思い起こさせることは困難との結論であった。
なお、逆白波は、斎藤茂吉のあの有名な歌に出てくるが、この言葉は最上川の流域に住む人々には、昔からなじみ深いらしい。それを茂吉が歌にうまく取り入れたのである。