天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

『雲母集』の不二

城ケ島にて

 三浦三崎、城ケ島から見る富士ということでは、北原白秋の『雲母集』を忘れることができない。大正二年五月から同三年二月に至る約9カ月間の生活から生まれた歌集である。人妻との不倫の果てに得た女性を伴ってやってきたが、親兄弟も合流した。白秋は三崎や城ケ島の近辺を日々歩きまわって詩や短歌を詠むことが仕事であった。
 以下に、『雲母集』に詠われた富士の歌を全て抜き出しておこう。十一首ある。



  不二見ると父母(かぞいろ)のせてかつをぶね大きなる櫓をわが
  押しにけり
  垂乳根のせちに見むといふ不尽の山いま大空にあらはれにけり
  大方にうれしきものを不尽の山わが家のそらに見えにけるかも
  大きなる櫓櫂かついで不尽の山眺め見わたす男なりけり
  れいろうと不尽の高嶺のあらはれて馬鈴薯畑の紫の花
  北斎の天をうつ波なだれ落ちたちまち不二は消えてけるかも
  駿河なる不二の高嶺をふり仰ぎ大きなる網をさと拡げたり
  ひさかたの天に雪ふり不尽のやまけふ白妙となりてけるかも
  れいろうとして天にくまなきふじのやまけふしろたへとなりて
  けるかも
  うちいでて人の見たりけむ不尽のやまけふ白妙となりてけるかも
  相模のや三浦三崎は誰びとも不尽を忘れて仰がぬところ



 以前にも『雲母集』は、このブログでとり上げた(2008年9月11日から25日まで)。その折に指摘したことだが、歌には葛飾北斎の「富嶽三十六景」にでてくる風景をそのまま詠んでいるものがある。現実に城ケ島から見はるかす富士山は、北斎の絵を連想させるので、白秋の詠み方はすぐに理解できる。