天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

北原白秋の新生(5/9)

富獄三十六景
  北斎の天(てん)をうつ波なだれ落ちたちまち不二は消えてけるかも
固有名詞「北斎」を入れた歌として、『雲母集』には他に次の二首がある。
  北斎の蓑と笠とが時をりに投網(とあみ)ひろぐるふる雨の中
  とま舟の苫はねのけて北斎の翁(おぢ)が顔出す秋の夕ぐれ
 白秋が葛飾北斎に強い関心を抱いていたことの別の証として、同時期の詩集「白金之独楽」に、北斎と題する一遍がある。
  一心(イツシン)玲瓏(レイロウ)
  不二(フジ)ノ山。

  桶屋(オケヤ)箍(タガ)ウツ桶ノ中ニ
  白金玲瓏
  天ノ雪。

  思ヒツメタル北斎(ホクサイ)ガ、
  真実(シンジツ)心(シン)ユエ、桶ノ中ニ
  光リツメタル天ノ不二。

  北斎思ヘバ身ガ痩(ヤ)スル、
これは、富嶽三十六景の内「尾州不二見原」通称「桶やの不二」のことを詠った詩である。絵の内容はよく知られているように、のどかな田園風景の真中に桶づくりに精を出している箍かけ職人をあしらっている。大きな円の構図。桶の円輪郭が雄大な富士山を呑み込む。輪は無限の宇宙を表し、その中に水田、森がひろがり、その支点に小さな三角形の富士山。輪円の中に壮大な宇宙がひろがる(中右 瑛)。白秋は葛飾北斎の鋭い造型感覚を短歌に応用し、部分を拡大描写する手法でシュールな情感を獲得した。北斎の造形感覚が現われている『雲母集』の歌の例は多い。次に四首だけあげておく。
  大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも
  城ヶ島さつとひろげし投網(なげあみ)のなかに大日(だいにち)くるめきにけり
  赤々と夕日廻れば一またぎ向うの小山を人跨(また)ぐ見ゆ
  はろばろに枯木わくれば甘藷畑(いもばたけ)おつ魂げるやうな日が落ちて居る
 ちなみに、『雲母集』には、富士を詠んだ歌が十五首もある。三崎から相模湾越しに見る富士の姿は、白秋でなくとも北斎の「神奈川沖波裏」を想わせる絶景である。 

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北斎の「富嶽三十六景