富士を詠む
正月に見る夢で縁起の良いものが、順に一富士二鷹三茄子という。現代ではあまり話題にもならないし、まして夢に見ることなど稀であろう。時間がゆっくり流れていた時代のめでたさなのだ。
富士が初めて歌に詠まれたのはいつの時代であったろうか。文学では平安時代初期の『竹取物語』に出てくるが、歴史に残る火山活動としては、781年(『続日本紀』の記述)から1707年まで十数回観測されている。中でも800年、864年、1707年の噴火が名高い。最後の宝永大噴火以来現在まで300年にわたって噴火を起こしていない。
富士登山は平安中期から行われていたらしい。西行が京の都と陸奥を往復する道中で見た頃の富士は、煙を吐いていた。
不尽の嶺に降り置く雪は六月(みなづき)の十五日(もち)に
消ぬればその夜降りけり 万葉集・高橋虫麿
田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける
万葉集・山部赤人
人しれぬ思ひを常にするがなるふじの山こそわが身なりけれ
古今集・読人しらず
秋まではふじの高嶺にみし雪を分けてぞ越ゆる足柄の関
続古今集・藤原光俊
ときしらぬ山は富士のねいつとてか鹿の子斑に雪のふるらむ
新古今集・在原業平
ふじのねの煙もなほぞ立ちのぼる上なきものはおもひなりけり
新古今集・藤原家隆
風になびくふじの煙の空に消えて行くへもしらぬ我が思ひかな
新古今集・西行
生きの日のかなしみをたへここにきて富士にむかへば心澄みたり
前田夕暮
駿河なる沼津より見れば富士が嶺の前に垣なせる愛鷹
(あしたか)の山 若山牧水
不尽見ると父母(かぞいろ)のせてかつをぶね大きなる櫓を
わが押しにけり 北原白秋
めずらしく晴れたる冬の朝なり手広の富士においとま申す
山崎方代
ひとりむすめあらばいまごろそむかれゐむころかくらぐらと
冬の赤富士 塚本邦雄
おそろしきものと見るべし一夜にて白く変れるビルの間の富士
佐佐木幸綱