三四郎池
「・・・三四郎は池のそばへ来てしゃがんだ。
非常に静かである。電車の音もしない。赤門の前を通るはずの電車は、大学の抗議で小石川を回ることになったと国にいる時分新聞で見たことがある。三四郎は池のはたにしゃがみながら、ふとこの事件を思い出した。電車さえ通さないという大学はよほど社会と離れている。
たまたまその中にはいってみると、穴倉の下で半年余りも光線の圧力の試験をしている野々宮君のような人もいる。野々宮君はすこぶる質素な服装(なり)をして、外で会えば電燈会社の技手くらいな格である。それで穴倉の底を根拠地として欣然とたゆまずに研究を専念にやっているから偉い。・・・」
夏目漱石『三四郎』に出てくる場面である。当時の現実を想像すると、物理学教室で光学の実験をしている寺田寅彦を訪ねた漱石(の若き分身)が、さっぱりわからないとあきらめて出て来て、池のほとりにしゃがんで思案している様子である。なお小説では、三四郎は野々宮の後輩という設定だが、実際は漱石が寅彦の文芸上の先生であった。
この後で、若い女性がふたり(ひとりは美禰子)、三四郎とすれ違い、また野々宮君も実験をあきらめて池のほとりに出て来て三四郎と合流するという場面が展開する。
この小説から、東京大学の心字池(育徳園心字池)が「三四郎池」と呼ばれるようになった。
赤椿一花(いつか)うかべる面(も)の下に錦鯉見ゆ紅白の肌
物理学教室出でて寅彦がしまし憩ひし三四郎池
藤棚の下の茶席のをみな子に求愛したることもおもほゆ