天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

河村城跡

神奈川県山北町にて

 山北町山北、岸の通称城山と呼ばれる標高約225m独立丘陵上にある。河村城は、平安時代末期に藤原秀郷の一族、波多野氏の河村秀高によって築かれたという。南北朝時代の籠城戰でもよく持ちこたえた堅城であった。「山嶮にして苔滑らかに人馬に足の立つべき処もなし」と『管領記』にある。落城し廃城になったのは、豊臣秀吉の小田原攻めの時であったらしい。郭(くるわ)(堀や土塁などで囲まれた平坦面)、畝堀(敵の侵入を難くするために堀底に畝を作つた)、お姫井戸(落城の際城主の姫が身を投じた井戸)などの遺構が保存されている。
城址、城山を詠んだ歌を二首あげておこう。


  教室の窓より遁(に)げてただ一人かの城址(しろあと)に
  寝に行きしかな               石川啄木
                   
  城山の宿の二階を明けはなついざ桜嶋(さくらじま)朝の
  座に入れ                  与謝野鉄幹
                   

    坂迫る山城の跡姫女苑