天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

足利学校

栃木県足利市にて

 足利の大藤を見に行った時に、ここも訪れた。天文18年(1549)に、フランシスコ・ザビエル足利学校を「坂東の大学」と報告しているように、室町中期にはすでによく知られていた。
 この足利学校の創建については、次の四つほどの説がある。
その一: 奈良時代国学の遺制であった
その二: 平安時代初期、天長9年(832)小野篁が創建した
その三: 鎌倉時代の初期、建長元年(1249)に足利義兼が建てた
その四: 室町時代中期、永享11年(1439)に関東管領・上杉憲実によって開かれた
歴史としてはっきりしているのは、結局室町時代中期以降のことらしい。上杉憲実が関東管領になると、学校を整備し、鎌倉から禅僧快元を招き初代校長とし、学生の養成に力を注いだ。その後は、代々禅僧が校長になった。

学校を詠んだ一番古い和歌、短歌を知りたいと思うが、手元の資料では、以下のように近代以降のものしか見つからなかった。


  学校を建てねばならぬしんぱいの顔こそ並べ蠟燭の明り
                    島木赤彦
  傷つけばつひに学校にすがり来るをこの感傷もわが新たなり
                    柴生田稔
  小学をいまだ終へざる吾子にかけてはるけき思ひす大学のことは
                    松村英一
  共産党細胞に守らるる学長を学長としてこの大学はあり
                    小泉苳三
  個人的一視点から見るならば大学は雨しぶく初夏の果樹園
                    佐佐木幸綱