天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

みそはぎ

藤沢新林公園にて

 ミソハギ科の多年草。盆の頃に咲き、仏前に供えられるのでボンバナ(盆花)とも、ミソギハギ(禊萩)とも言う。漢字では、千屈菜、鼠尾草などと書く。


     千屈菜や若狭小浜の古寺巡り   湯下量園


  みそ萩の直ぐ立つ梗に手を伸べぬ詣で申さずちちははの墓
                      千代国一
  みそ萩のこぼれつつ咲く水の辺に影を先立て下りゆくなり
                      河野裕子

昨日の「短歌人」夏季集会でのわが詠草について。
  風の音の遠きむかしに限りなく素数はありと君は示せり


何のことか分からないという人、「音」を「おと」と読んだり「ね」ではないか、という人。唯一人、永井秀幸さんが、「風の音の」は「遠き」にかかる枕詞であり、この場合の「音」は「と」と発音する、と正解を言って下さった。しかし、歌の意味を解説してくれる人は誰もいなかった。
 素数が無限に存在することの証明は、ユークリッドの『原論』に書かれている。古代ギリシャにおいて、背理法により証明した人がいた。それが歌の「君」なのである。
歌会参加者の1割強の人たちが、この歌に点を入れてくれたので、まあ悲観することはないか。