天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―序―

諸説近代短歌鑑賞(おうふう社)

 短歌や俳句の鑑賞の一つの目的は、作品と作者を世に紹介することである。鑑賞によって名歌・名句になったり、作者が有名になって世に出るということもある。短歌の一首、俳句の一句を鑑賞するとは、詠まれている詩情を賞味すること。情景を解釈し、工夫されている措辞・技法や本歌となる古典を明らかにして詩の誘因を示す。作者の経歴、日記や注釈書などに言及にすることもある。
 鑑賞する作品の作者について、その境遇や生涯が詳しく分っている場合、その情報を一首・一句の鑑賞にどこまで取り入れるか?あくまで一首・一句の範囲内で勝負すべきという短詩形に潔癖な人もあれば、十分に考慮すべしとする人もいる。背景情報によって、一つの作品の評価が大きく左右されるようでは、短詩として問題であろう。
 歌会や句会では、選んだ作品なり順番がきた作品について意見や感想を述べる機会がある。これを文章にすると鑑賞文になると考えれば、文学修練の場としての意義・重要性が理解できよう。
 以後のブログでは、鑑賞の文学 ―俳句篇― と 鑑賞の文学 ―短歌篇―とに分けて、連載形式で継続していきたい。準備の都合で断続的になるが、古典の作品から最近発表の作品などを対象にしたい。鑑賞の具体例をあげるが、文章が長い場合には、原文の味わいを残すように要約して引用する。
 従来注目されなかった作品や新しい作品が、すばらしい鑑賞によって世に知られるようになれば、鑑賞者冥利につきるというもの。