天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―詩 篇(5)―

書肆山田刊

 今年一月十五日に初版が出た岡井隆の『森鷗外の『うた日記』』を読んでいる。森鷗外の『うた日記』は、彼が日露戦争に軍医部長として従軍した際に、詩・短歌・俳句で綴った日記である。岡井はこの作品についてさまざまな面から鑑賞・注釈を書いている。高見順賞を受賞した岡井隆の詩集『注釈する者』(二00九年刊)を読んだ者にとっては、岡井の近年の行き方がよく分かる気がする。ただし、今回の書は評論集である。
 これを読んでいて感心するのは、鷗外の作品には中国文学の素養が活かされていること。戦後の新教育を受けた身には、とても理解が届かない。例えば、次のような短歌や俳句。


  周郎の かへりみはづる 志のびごま 
  撥とりもちて 志ばしたゆたふ    (短歌)

     朧夜や 清衛の石 ざんぶりと (俳句)


周郎や清衛は中国史の故事からきている。それらについては、岡井の本を読んで頂きたい。
他の俳句を二例追加しておく。


     起重機や 馬吊り上ぐる 春の舟
     春の海を 漕ぎ出でて明す 機密かな


詩や短歌に比べると新鮮味がある。起重機とか機密とかの言葉のせいである。