天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(4)―

萩原朔太郎『与謝蕪村』

       
     月天心貧しき町を通りけり     蕪村


[朔太郎]月光の下、ひとり深夜の裏町を通る人は、だれしも皆こうした詩情に浸るであろう。しかも人々はいまだかつてこの情景を捉え表現し得なかった。蕪村の俳句は、最も短かい詩形において、よくこの深遠な詩情を捉え、簡単にして複雑に成功している。実に名句と言うべきである。
[龍太]戸を鎖して、燈さえも洩れぬこの荒涼たる貧しい家居の中にも、矢張り慈母の懐にいだかれてやすらかな眠をつづける嬰児の姿を思い浮かべたであろう。皎々たる月の光りはすべてを美化し浄化してそこには富も貧もない。「貧しき町」のすがたは単に彼の網膜に映じた像にすぎない。彼のポエジーとしたものはそうしたリアルなものよりはるかにロマンチックなペイソスであったのである。(「蕪村秀句鑑賞」)
秋桜子]月天心」という漢語調がおもしろくて有名になっている句だが、技巧としてはさほどのものではなく、こういうことの得意な蕪村としては、格別の苦心もなかったことと思われる。ただ、その天心に照る月光をあびて、貧しい町筋を通ったということを、何の技巧もなく、真直ぐに述べたのは、当時としては珍しかったにちがいない。
[安東次男]几薫編『蕪村句集』以外の稿本には、「名月やまづしき町を通りけり」とか「名月に貧しき道を通りけり」といった形が見られる。「名月や」といえば、あくまでも下界から眺めている月であるが、「月天心」といえば、天心の月から俯瞰されている感じがある。この巨視の目の中に、蕪村は人界の営みを包みこみたくて改案したのであろう。くまなく照らし出された家並の下には、微視的に見れば月の光の届かぬ生活の気配がある。暗い町裏の軒下をひたひたと歩いてゆく蕪村の足音と、月明の屋根の上を音もなく過ぎてゆくもう一人の蕪村の気配が、同時に伝ってくるところが面白い。清夜の月を強調するというよりも、むしろ、夜も更けた町のさまざまな生活の気配を、活々と描きすための工夫である。


 安東次男の鑑賞が最も意を尽して分り易い。秋桜子が言うほど容易にできたわけでない。飯田龍太の鑑賞には、当時(昭和23、24年)の彼の家庭環境が反映しているようだ。