鑑賞の文学 ―俳句篇(6)―
はいくほくはいかい鉛の蝸牛 摂津幸彦『四五一句』
[宗田安正]摂津幸彦の遺句になった。〈はいくほくはいかい〉は〈俳句発句俳諧〉もしくは〈俳句発句徘徊〉か。〈鉛の蝸牛〉は自画像。摂津俳句の特色は、茶化し、言葉遊び、イロニー、淋しさは身体化 と自由に展開するところにあった。子規から続いたストレートな近代の表現が通じにくくなった時代の状況の中で、その最後まで新しい俳句を求めていた。
(「俳壇」2010年12月号。最後の一句―晩年の句より読みとく作家論)
宗田は、掲出の句についてあからさまには鑑賞していない。「俳句発句徘徊鉛の蝸牛」と解してみたい。俳句は俳諧の発句が独立したものだが、自分なりの路線を打ち出すべくいろいろ試行錯誤してきたものの、蝸牛の歩みの如く、発句の頃からあまり進歩がない。迷った末についに鉛の蝸牛のように固まってしまった。そんな自嘲の句であろう。ア音のリフレインが諦めと哀しみを感じさせ、後のリ音がそれを引き締めている。
[注]摂津幸彦(1947年〜1996年、享年49): 兵庫県生まれ。
関西学院大学卒業。立命館大学の坪内稔典らと交流を持つ。
1980年、俳誌「豈」創刊に仁平勝らとともに参加し、前衛
俳句の一大拠点に育て上げた。代表句を5句。
幾千代も散るは美し明日は三越
南国に死して御恩のみなみかぜ
少年の窓やはらかき枇杷の花
露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな
国家よりワタクシ大事さくらんぼ