天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

葉桜の季(とき)(2)

横浜市舞岡公園にて

 葉桜を詠んだ俳句や短歌は多い。葉桜には、花が散ったことの残念さ・虚しさとその後に湧き立つ生命力のたくましさ・暗さと両方の感情が伴う。


     葉桜や又おそろしき道となり       暁台
     葉桜の影ひろがり来深まり来      星野立子
     葉桜や忘れし傘を取りに来ず      安住 敦
     葉ざくらやしづかに終る日のあらん   石橋秀野


  ひとりの嘆きとおもひ舗道(しきみち)に葉桜ゆるる影を越えにき
                        上田三四二
  葉桜の記憶かなしむうつ伏せのわれの背中はまだ無瑕なり
                        中城ふみ子
  葉桜の国にわが母 花冷えの国に妻の母 相とほく老ゆ
                        高野公彦
  葉ざくらとなりて久しとおもふ木のをりをりこぼす白きはなびら
                        石川不二子
  葉桜のみどりにすいと手を伸ばす坊やいつまで私の坊や
                        俵 万智
  葉ざくらとなりつついまだ残りいる花を求めて丘のぼりゆく
                        金井じゅん子
  葉桜のあをめる影の坂道をはふりはふり出されて缶まろびゆく
                        高田流子
  葉桜に外灯の照るひとところかなたに見えて逢ひのごとしも
                        花山多佳子