天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

金環日食

わが家のベランダから

 五月二十一日朝七時半頃に、曇り空の狭間から金環日食を見ることができた。宇宙の出来ごとは、わが国の古い文献にいくつか記述されていたことは、よく知られている。世界的にも有名なのは、藤原定家の日記『明月記』に記された超新星爆発である。皆既日食についての最古の記述ははっきりしないが、古事記の神話にある天照大神の天岩戸隠れかもしれない(大林太良『日本神話の起源』)。また皆既日食だったかどうかはっきりしないが、『源平盛衰記』の「水島の合戦」に次のような日食の現象が書かれている。

  「天俄に曇て日の光も見えず、闇の夜の如くに成たれば・・・・
   源氏の軍兵共日蝕とは不知、いとど東西を失て舟を退て、いづち
   共なく風に随つて遁行」

水島の合戦は、1183年11月17日のこと。
 実は日本で過去の日食が起きた年月日は、科学的に計算できている。それが古文書にどこまで記載されているかに興味がある。今回のように東京、名古屋、大阪といった三大都市を含むような金環日食は932年前の西暦1080年に遡る。仙台、新潟以西の日本をすっぽり包むほど大規模のものであった。ただ、それを記述した古文書があるのかは定かでない。更に古い日食では、日本書紀に「推古天皇三十六年三月戌申、日有蝕尽之」とある、628年4月10日の日食であるらしい。ただしこの時、日本では部分日食であった。


  平安の世に現れし白銀(しろがね)のリング見上ぐるうす雲の空