神を詠む(6/9)
いけにえに少女をもとめし古代より神は刃ものの冷たさを持つ
香川 進
酔へば喧嘩作品のほか何もなし幼き妻は神のごとしも
大野誠夫
娶りはとほき奇蹟なれども帆柱を神として若き漁夫ねむるなり
塚本邦雄
神田の一隅にゐて神をおもふ軽くはなやぎて世紀終らむ
岡井 隆
神の怒りたもちがたしと嘆かへば血潮のごとし天ゆふ焼くる
岡野弘彦
神すらも心ほそりて眠るならむ枯山の上に雲ひびきくる
岡野弘彦
さつき野の青葉のうへに夜ごと夜ごと神がしたたらす欲情の白
岡野弘彦
報復は神がし給ふと決めをれど日に幾たびも手をわが洗ふ
大西民子
一首目: 少女を生贄にするということは、「人身御供」を意味する。日本の古代では、女性が荒ぶる神を鎮めるために身を奉げた神話として、日本武尊の妻である弟橘比売の話がある。東国攻めに同行した弟橘比売は、はしりみずの海(浦賀水道)で暴風のため船がすすまなくなったとき,海神をなだめるため海に身を投じて風をしずめたといわれる。
大野誠夫は、昭和時代の歌人。風俗派、虚構派、芸術派などともよばれたが、離婚による愛児との別れの悲哀を率直に歌うなど、人生派、現実派としての風貌もあった。掲歌は、若き日の自画像であろう。
三首目: 「娶りはとほき奇蹟」とは、「若き漁夫」にとってのこと。
岡野弘彦の三首目は、なんとも解釈が憚られる。神主の家に生まれた岡野がこんな歌を詠むとは! いやそれだからこそか?
大西民子の歌は、報復を大西自身も手伝っているかのような印象を受ける。自分で報復したいのを抑えているようでもる。