銀河
従来は天の川を指していたが、天文学や宇宙の写真が普及するにつれ、銀河系と同様な形態をしている恒星の大集団を意味することが一般に理解されるようになった。右の画像は、NASAのハッブル宇宙望遠鏡の映像から借用したもの。
床のぶるしばしがあひだ戸に立ちて仰ぐ銀河は深くさやけし
土岐善麿
しろがねの銀河は光りわだなかに生れやまざる大き渦潮
川口常孝
サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい
大滝和子
銀河の芯ふたつなること記されて星々はほのに人間めきぬ
坂井修一
灯りひとつ無きパグディンの夜更けて全天銀河なだるるごとし
高橋光義
おほどかな群青銀河ゆつくりとわれを無心にかへさむとせり
喜多弘樹
地の上に私が君を愛す今星雲ひとつ銀河に生るる
藤田久美子
ところで今年の「短歌人」新年会に出した私の詠草は次の歌。
銀河系その片隅にわが想ふ宇宙開闢(かいびやく)と
素粒子のこと
「ビッグバンと作年話題になったヒッグス粒子を詠んだ、と思われる壮大な歌」という批評のみで、あまり関心を持たれなかった。私としては、素粒子論という極小の世界が宇宙論という極大の世界と統一して論じられる時代が来たことに感激しているのだが。あまりに知的な内容は、短歌の枠を越えてしまうのだろう。短歌は、卑近な私事を詠むのが常道。現代短歌の巨人・岡井隆の全歌集を読んでみれば判るが、すべての歌が彼の身辺詠なのである。彼が見聞きして考えた、感じた、夢見た内容がレトリックによって歌になっている。それが読者の共感を得る。短歌とはそういう文芸なのだ。