天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

羽衣の松

三保ノ松原にて

 謡曲「羽衣」に傾倒したフランスのバレリーナ、エレーヌ・ジュグラリスのことは、今回三保の松原を訪れるまで知らなかった。立派な石碑が立っている。彼女は1951年7月、憧れの三保の松原を見ぬままパリで没した。石碑は「私の髪をぜひ羽衣の松近くに埋めて欲しい」という彼女の遺言により建てられたという。遺言どおりに碑の下には髪が埋められている。横には彼女の夫が詠んだ次のような詩(有永弘人訳)の碑もある。

   三保の浦
   波渡る風、語るなり
   パリにて「羽衣」に
   いのちささげしわが妻のこと
   風きけば
   わが日々のすぎさりゆくも
   心安けし
        マルセル・ジュグラリス

はるかな思いが胸に迫ってくる秀逸な詩である。
 初代の羽衣の松は、根方近くの幹だけが残されているのみで、枝はついていない。その横に幼い二代目の松が真直ぐに立っている。また少し離れた場所に、地を這うような立派な松が「新・羽衣の松」と定義されている。
以前に来た時には、まだ枝葉のあった初代・羽衣の松の根方の石をふたつ持ち帰ったのだが。


     雪嶺の富士を車窓にまぶしめる
     青黒き湖(うみ)三月の遠江(とほたふみ)


  いにしへの乙女想ひて訪れし三保の松原羽衣の松
  津波くれば越ゆらむ松原に黒く朽ちたる羽衣の松
  羽衣の松のうからが並び立つ三保の松原春の潮騒
  羽衣の松を見て後浜に出で弓手に白き富士を望めり
  黒潮の風に耐へたる羽衣の松の二代目幼きが立つ
  羽衣の松の二代目夏されば枝にうすもの掛け干す女


[注]羽衣伝説: 日本各地にあるが、最も古いのは『近江国風土記
   逸文に記されている滋賀県長浜市余呉湖を舞台とした伝説
   らしい。それが他の地の伝説に広まったという。余呉湖畔には
   立派な天女像が設置されている。