うなぎ(2)
奈良時代には、万葉集・大伴家持の歌にあるように、「むなぎ」と呼ばれた。院政期頃になって「うなぎ」という呼称が出て来たという。日本のウナギ養殖は、明治12年に東京深川で、殖産家の服部倉治郎によって初めて試みられた。以降、静岡県、愛知県、三重県など他県に広まった。
なお電気うなぎやヤツメウナギは、「うなぎ」とついていて鰻に似ているが別種のもの。
野田岩の二階座敷にうなぎ食ふ二十年ぶりなりうなぎ
柔ら身 宮 英子
鰻の肝・鳥のなま肝・肝食ひののちのさびしき汗拭はばや
馬場あき子
かば焼の鰻を食いて腹満てる土用丑の日西空赤し
石田比呂志
水槽の小石より首をのぞかせて泣きたいやうなうなぎの眼玉
真鍋正男
馬の歯の隙間かわ湧く鰻かなてんてててわがブリキの太鼓
加藤治郎
蠅取り紙吊さるる店に夕日さし鰻は桶のまるみにそえり
藤本則子
筋肉のわづかに残りゐる臀を円座にのせて食ふうなぎめし
竹山 広
約束を減らして消して夜を招きはらわたに長き鰻詰め居り
佐佐木幸綱