天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌枕―筑波山(1/2)

男体山にて

 筑波は、連歌発祥の地として古事記の次のやりとりで知られる。
  新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる     日本武尊
  日日なへて夜には九夜日には十日を   火焼の翁


 筑波山男体山(標高871m)と女体山(標高877m)の二峰に別れているところから、恋や歌垣の場として詠まれることが多い。雅称は紫峰(しほう)。筑波嶺(つくばね)。


  筑波嶺を外(よそ)のみ見つつありかねて雪消(げ)の道を
  なづみ来(け)るかも       丹比国人『万葉集


  筑波嶺に雪かも降らる否をかも愛しき児ろが布乾さるかも
                    東歌『万葉集
  筑波嶺の裾廻(すそみ)の田居に秋田刈るいもがり遣らむ
  黄葉(もみぢ)手折らな     高橋虫麻呂万葉集


  筑波嶺(つくばね)の峰より落つる男女川(みなのがは)恋ぞ
  つもりて淵となりぬる       陽成院後撰集


  筑波山端山繁山しげけれど思ひ入るにはさはらざりけり
                  源重之新古今集
  音に聞く人に心をつくばねの見ねど恋しき君にもあるかな
                  読人不知『拾遺集
  我ならぬ人に心をつくば山下にかよはむ道だにやなき
                大中臣能宜『新古今集
  筑波嶺のこのもかのもに蔭はあれど君が御蔭にます蔭はなし
                    東歌『古今集
  みなの川もみぢ葉流る筑波ねの山もとどろに時雨ふるらし
                        契沖


  筑波山二峰を巡り降り来ればガマの油を芸に売る人