罪を詠む(1/3)
罪の語源は、「つつむ(障)」の連用形名詞「つつみ(障)」の略という。次の歌で原義が用いられている。その後、共同で守るべき秩序(法律、教義、法則など)を乱す行為を意味するようになった。同義に「咎(とが)」がある。「あやまち」のことで、語源は、「とがめる」。
青海原風波なびき行くさ来さつつむことなく船は早けむ
*「青い海原は風も波も穏やかで、行きも還りも差し障りなく 船は早く進むことでしょう。」
築波嶺に背向(そがひ)に見ゆる葦(あし)穂(ほ)山(やま)悪(あ)しかる咎もさね見えなくに
万葉集・東歌
*葦穂山(足尾山の古称)は、筑波山や加波山と並んで古来より山岳信仰の対象となっており、山中には霊石とされる巨岩や奇岩も多い。
年のうちにつもれる罪はかきくらし降る白雪とともに消えなむ
拾遺集・紀 貫之
君が名の立つにとがなき身なりせば大凡人(おほよそびと)になして見ましや
*大凡人: 世間一般の人。ふつうの人。
おり立ちて浦田に拾ふ海人の子はつみより罪を習ふなりけり
*浦田(岡山県児島の渋川海岸)で子供がつみ(螺貝(つみ))を拾っているのを見て詠んだ言葉遊びの歌。
なにごとも空しき法(のり)の心にて罪ある身とはつゆも思はじ
数ならぬ心の咎になしはてじ知らせてこそは身をもうらみめ
*「ものの数でもない私の心の過ちとしてしまうまい。私の恋心をあの人に伝えて、それで叶わなかった時に我が身を恨もう。」
うち絶えて世にふる身にはあらねどもあらぬ筋にも罪ぞかなしき
*生への執着そしてその罪を思う。仏門に仕える身の限りなき悔恨が存在する。慈円は、平安末期から鎌倉初期の天台宗の僧・歌人。最初の歴史哲学書『愚管抄』の著者としても知られる。