忘れる・忘却の歌(6/6)
いつとなく親しむとなく寄るとなく馴れし情も忘られなくに
北原白秋
とこしへに、泣きてわかるる雨の日のいとけなき子を忘れたまふな
平野万里
忘却の彼方より湧きをりをりに悲し彼ひとり沖縄に死す
山本友一
物忘れしたるがごとくひろびろとせる思ひもて昼の雨見る
林 安一
忘るるは健康のためによしとして心にかけぬわが物忘れ
筏井嘉一
いろいろのこと忘れ昼の月もわすれ泥々のなかに我ぞありける
前川佐美雄
忘却とたはやすく人は言ひなせり忘却に至る苦悩は言はず
樋口美世
平野万里は、「明星」に短歌・詩・翻訳などを多数発表している。与謝野夫妻が没するまで夫妻と相伴うようにして協力し、作品を発表した。「明星」廃刊のあと、石川啄木らと「スバル」創刊に尽し、同誌に小説・戯曲を発表している。掲載歌は、なんとも悲しいが、背景は不明。
山本友一は福島県出身。満州(中国東北部)での生活や引き揚げ体験をよんだ重厚な歌風に特色があった。享年96。歌はひとり沖縄に死んだ友の記憶が時折思い出される、という。
前川佐美雄は、大正10年「心の花」に入り,佐佐木信綱に師事。プロレタリア歌人同盟に参加したが、新芸術派に転じ,昭和9年歌誌「日本歌人」を創刊した。平成2年に87歳で死去。掲載の歌は、晩年の作品と思われる。「昼の月もわすれ」とは、まだ意識はしっかりしている。
樋口美世の歌では、下句が共感しにくい。苦悩があれば簡単に忘れないのではないか。