夢を詠う(11)
さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧は
前登志夫
わがゆめの髪むすぼほれほうほうといくさのはてに風売る老婆
山中智恵子
一生吾がいだきて行かん寂しさや川暗く舟艇衛兵の夢
近藤芳美
扉押し扉を押して出口なき夢の怯えの明けの目覚めを
近藤芳美
わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
寺山修司
かがまりてこんろに赤き火をおこす母とふたりの夢つくるため
岸上大作
しばしばも来る夢にしてまおとめの乳に針刺すわがおこないよ
岡部桂一郎
夢に来て物言ふは子の生きかはりししるしといはれ起きなほりたる
五島美代子
一首目は前登志夫の代表作。「夢やはらかし」の位置に絶妙な詩的工夫がある。意味上は四句と五句を入れ替えればよい。
山中智恵子の歌は、あまりに詩的で解釈が難しい。「髪」以下が夢の中味だとすれば、分りやすくなるのだが。結句の「風売る老婆」とは、何の暗喩であろうか? 山中自身の生き方のようでもある。
近藤芳美の一首目で「舟艇衛兵の夢」がどのようなものか読者には分らない。二首目では、結句が言いさしになっている。「待っている」が省略されているのだろう。
寺山修司の歌は、自分の漕ぐカヌーが何度も向かう川岸には、他人の夢がある。自分の夢に向かってカヌーを漕いでいない、と寂しがっているのだろう。ユニークな発想。