夢は恋におもひは国に身は塵にさても二十とせさびしさを云はず
与謝野鉄幹
夢にせめてせめてと思ひその神に小百合の露の歌ささやきぬ
与謝野晶子
ゆくりなく君見しものをわが夢の一つをえらび真夢(まゆめ)と
せんや 三ケ島葭子
春の日や絡繹(らくえき)としてやちまたを人行く、われは夢の
野を行く 佐佐木信綱
つと崖よりさかしまにおつる この夢を、このごろまたもしきりに
見るかな 土岐善麿
いつの日の芝居の夢のなごりかも十六夜(いざよひ)も見ゆ清心
(せいしん)も見ゆ 吉井 勇
闇の夜の山路をいそぐしばしばも見る夢にしていづこと知らず
窪田章一郎
二首目に出てくる「小百合の露の歌」がどのようなものか不明。与謝野晶子には「小百合さく 小草がなかに 君待てば 野末にほひて 虹あらわれぬ」があるが、これではないだろう。
三ケ島葭子の歌は、思いがけなくあなたを見かけたことを、自分が見たあなたの夢の中から一つを選び、それが現実になったのだとしようか、という意味であろう。
佐佐木信綱の歌で、絡繹とは人馬などの往来が絶え間なく続くさまのこと。またやちまたとは、文字通り道がいくつのみ分かれるところ。
吉井 勇の歌の結句は「清らかな心も見える」という意味になるが、別の解釈もあるのだろうか。