天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

夢を詠う(10)

十六夜

  夢は恋におもひは国に身は塵にさても二十とせさびしさを云はず
                        与謝野鉄幹
  夢にせめてせめてと思ひその神に小百合の露の歌ささやきぬ
                        与謝野晶子
  ゆくりなく君見しものをわが夢の一つをえらび真夢(まゆめ)と
  せんや                   三ケ島葭子


  春の日や絡繹(らくえき)としてやちまたを人行く、われは夢の
  野を行く                  佐佐木信綱


  つと崖よりさかしまにおつる この夢を、このごろまたもしきりに
  見るかな                   土岐善麿


  いつの日の芝居の夢のなごりかも十六夜(いざよひ)も見ゆ清心
  (せいしん)も見ゆ               吉井 勇


  闇の夜の山路をいそぐしばしばも見る夢にしていづこと知らず
                        窪田章一郎


二首目に出てくる「小百合の露の歌」がどのようなものか不明。与謝野晶子には「小百合さく 小草がなかに 君待てば 野末にほひて 虹あらわれぬ」があるが、これではないだろう。
三ケ島葭子の歌は、思いがけなくあなたを見かけたことを、自分が見たあなたの夢の中から一つを選び、それが現実になったのだとしようか、という意味であろう。
佐佐木信綱の歌で、絡繹とは人馬などの往来が絶え間なく続くさまのこと。またやちまたとは、文字通り道がいくつのみ分かれるところ。
吉井 勇の歌の結句は「清らかな心も見える」という意味になるが、別の解釈もあるのだろうか。