天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

寒川町一之宮の力石

一之宮河原不動にて

高島慎助先生のブログ「ご存知ですか力石!」(1月25日に掲載)に、神奈川県高座郡寒川町「一之宮不動堂」前の力石が紹介されていた。先生の著書『神奈川の力石』に載っているのだが、以前に訪ねあぐねて失敗している。今回、ブログに刺激されて再度探しに出かけた。あちらこちらで場所を聞きながら探して、なんとかたどり着いた。


     雪雲を案じて探す力石


  力石探しに妻を伴へば歩き疲れて遅れ気味なる
  そこここで道聞き探す不動堂ここかと気づく道曲り角
  一之宮目久尻川のほど近く河原不動と力石あり
  かたはらに大山道の標(しるべ)石六十貫の力石あり
  格子窓のぞけば奥に不動尊童子左右に美しく見ゆ
  寄進者と六十貫の文字刻む江戸の中期の力石在り
  寄進者は中村弥兵衛名の知れた江戸深川の力持ちとぞ
  往きに迷ひ還りに迷ふ寒川の一之宮なる力石まで
  力石見ての帰りはタクシーもバスも来ざればひたすら歩む
  力石見つけて仕事終はりたり雪にも雨にも会はず帰宅す


不動堂前に立っている「大山街道」「河原不動尊」という2枚の案内板から要約すると次のようなことが分る。
江戸時代に相模の大山に詣でる講が盛んになったが、江戸から大山阿夫利神社へ行く大山街道の一つに、鎌倉や江ノ島を訪れて後のコースとして、藤沢の西、四つ谷、大曲、中瀬、一之宮、田村の渡し、大山へと通じる道があった。一之宮不動堂は、この大山詣でにゆかりがあった。
一之宮不動堂は河原不動尊とも呼ばれ、不動明王座像と二体の眷属が祀られている。お堂の前にある力石や道標も江戸の人達が、江戸時代中期頃に奉納したらしい。この前の大山道を大山参拝の人達が大勢行き来したのである。