天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集・平成十六年「もみぢの客」

  海草の屑乾きたり晩秋の白砂に色さまざまに散る

  馬に乗る女の腰の豊けきに見とれてゐたりあしがらの里

  しゆるしゆると電車走れり立冬といへど薄着の関東平野

  年間無休暁天坐禅の仏殿に観光客が賽銭投げる

  大震災埋没者供養塔立てり「殊顔妙艶童女」の碑銘

 

     もみぢ   八首

  鉄(くろがね)の不動明王を仰ぎ見るもみぢの客をひとり離れて

  本堂に入りて間近に仰ぎ見る不動明王くろがねの艶

  関鯖の刺身に酌める大吟醸山茶花梅雨の憂さを晴らせり

  ざはざはと桜もみぢを吹き散らし野分駈けゆく極楽寺の空

  天井の龍が見下ろす時頼忌俳句大会の老人の群

  国分寺金堂跡に立ちて見る丹沢山塊大山の峰

  船つなぐ杭の根付きし大欅根方太きに上つ方無し

  「置き引きに注意」の札があちこちに桜落葉の濡るる霊園

 

  一線を退きし身をさびしめば足裏にやさし落葉積む道

  つがのきのつぎつぎ落つる黄葉にわが照らされてベンチに坐る

  しあはせは銀杏もみぢの並木道黄の絨毯を肩寄せてゆく

  喧噪を少し離るる公園の紅葉の下に鴉水浴ぶ

  百鳥の呼び交はす声公園の木々さまざまの紅葉散らす

  たまきはる命伸ばさむ人皆が大湧谷に食ふ黒卵

  落鮎を獲りゐし鷺の群はなく冬の朝日に締まる川原

  アパートの裏の古りたる石塔は鎌倉の世のもののふの墓

  あまりにも満天星紅葉赤ければわが身濡らせる時雨を忘る

 

     去年今年   八首

  そのかみのを左手に湖北をはしる一両電車

  逝く年の陽を吸ひ尽くす紅葉の山みなやさしの里

  頼りなく飛び立ちてゆく鵜の群のゆくへ思へり弁天島

  さざ波の浜名湖砂州の白砂に黒き縞なす海鵜の群は

  ボプサップ、曙いづれ負くるとも巨体かなしき大晦日なる

  走り湯に浸りて待てりひむがしの海より生るる初日子の顔

  いさなとり相模の海の波抜けて海鵜飛び立つ次々に翔(た)つ

  定年の後の仕事を探すべし江ノ島に来て海を見てゐる

 

  砲撃の音とどろけり海を背に田子の浦ゆ見る白雪の富士

 

     逝く年   五首

  江ノ島の坂降りてくる花嫁の頬美しき師走の

  烏帽子岩黒ずむ果ての青空におごそかなりき雪の富士山

  谷戸の崖うがちて立てし観世音をろがむ人のなき世を見守る

  寒鯉のひそめる池に波たてり筧を伝ふ谷戸の遣り水

  「南無観世音菩薩」と書ける蝋燭の小さきを点す長谷の仏殿

 

  風化せし石仏多き鎌倉の谷戸のなだりに咲く水仙

  湯河原や駅のホームの屋根裏の鳩が見つむる赤き座布団

  三保の松天つ乙女の羽衣を老妓羽織りて舞にはなやぐ

  生ひ出づる蓮の若葉の泥池に鯉の尾鰭が揺れて波立つ

 

     白秋の三崎   八首

  家猫か野良か見分かぬ猫がくるマグロ料理の店先の道

  係留のヨット静けき諸磯の艇庫の裏に大根干せり

  荒くれをあまたなだめし遊郭の跡に残れる潮入の川

  白秋が移り住みにし異人館跡形もなくひよろ松二本

  そのかみの椿の御所は幼稚園 午後は女性コーラス聞こゆ

  朝東北風(あさならひ)夕南風(ゆふみなみ)吹く通り矢に白き帆張りし漁の船

  白秋が来て涙せし供養塔遊女身投げの断崖に立つ

  青首の三浦大根洗はれて並べられたりむらむらとすも

 

     八景原   五首

  白秋が裸の海女を見て詠みし歌ほがらかに西崎の磯

  なだらかな八景原の端に立つ身投げの場所のこの供養塔

  逃れ来し八景原の下に待つ波が削りし磯の針山

  身投げせし遊女の墓と並びたり牛頭観音馬頭観音

  白秋と夕暮が来て酒飲みし八景原に大根育つ

 

  吾妻山頂きに咲く菜の花をまぶしみて読む万葉の歌碑

  みちのくの歌枕見む残雪の凍れる道を妻と歩めり

 

     古都に遊ぶ   八首

  紋様の定かならざる曼陀羅も国宝なれば尊びて見る

  当麻寺(たいまでら)浄土の庭に口づさむ大津皇子のりの歌

  松明の火の粉を待ちて見上ぐれば若草山に淡き月出づ

  二月堂下にひしめく人影に松明振りて火の粉散らせり

  月出づる若草山の麓にて火の粉あぶるを幸せとせり

  天平の堂宇の中に立ち尽くす死者の色濃き十二神将

  申年(さるどし)の守護神なれば蝋燭を点し手合はす大将

  みぞれ降る嵯峨野の春にゆきくれてしましを憩ふ湯豆腐の店

 

  頬に吹く如月の風冷たくも背中に汗ばむ奥の細道

  残雪の風の冷たき多賀城趾雉子は短き距離を飛びたり

  五大堂見透かしの橋の下に見ゆ春浅き朝のささら薄氷

  水鳥の浮かぶ水面の漣の光まぶしむ雄島の岬

  みをつくし区画されたる牡蠣ひびのあまた浮かべる松島の海

  公園の檻に飼はれて年ふりぬ花に染まれるチリフラミンゴ

  山里に下りくる獣のあるらしき発砲注意の看板懸かる

 

     春愁   八首

  春雨に濡れて重たき千羽鶴原爆の火」は揺れて点れり

  無人なるホールに流れ春を待つブランデンブルグ協奏曲

  摩天楼ガラスの壁にいづくかのビル金色に映りて澄めり

  俳優(わざをぎ)を文士をここに育めり客呼ぶ声の浅草六区

  をさな児の見つむる乙女ふたりして棒付き飴をすぽすぽ舐むる

  さびさびと白木蓮の散り初むる神社の庭の日差ぬくとき

  草の上に這ひ登らむとひしめけりおたまじやくしの黒き命は

  将軍が開陽丸に逃れ来し離宮は今し菜の花ざかり

 

     白浪   五首

  飽きもせずジェットスキーを駆り立てて時をつぶせり江ノ島の海

  弁財天仲見世通りをくる稚児の鼻筋白き春まつりかな

  江ノ電の過ぐるを待ちて佇める白浪五人男老いたり

  春風を白き帆に受け帰り来るヨットの群を待つカモメ鳥

  係留のヨットに憩ふ日曜日犬坐らせてラーメンすする

 

  数万年先の地層に現れむここに埋めたる万羽の鶏

  看板に眼鏡かけたる優男木馬館にはまだ空席が

  丹沢の峰の続きになまよみの甲斐の山並富士が際立つ

 

     歌人に想ふ   八首

  黒豹はつひのまぼろし戦なきこの国に棲み歌を詠みつぐ

  藍青の空に飛び立つ白き蛾を我が子手放すごと見送りぬ

  炎熱の怒り絶えざるうつし世に溶くることなきの氷湖

  ゆきて負ふ自己責任を問はれたりこの戦場に人質となり

  山人の暮らしに還る吉野山花の女神に組み伏せられて

  「さくらさくら」唄へばかなし自衛隊の貢献あやぶむ朝日くれなゐ

  転職に暮るるか亡八の夢に現はる乙女の乳房

  吸ひさしの煙草の先に霧深し未だ還らぬ北方領土

 

  靖国の木の下闇に吹き鳴らす破れし音の進軍喇叭

 

     芥川龍之介展   六首

  扁額の下に座れる白晢の「我鬼窟」主人はつか笑まへる

  漱石の励ましの文あたたかく紙あせたれど墨痕勁(つよ)し

  本郷の河童の前にひれ伏して何を頼める田端の河童

  臭素加里、臭素ナトリウム、重曹、苦丁、浄水に飲めと茂吉の処方

  死の床に着てゐし浴衣目の前にありて恐ろし我が丈に合ふ

  敗北の文学である 容赦なきプロレタリアの鞭鳴り響く

 

  通勤の電車の窓にゆめうつつ朝日は雲の帽子被れり

 

     題詠(鞄)

  ふたりとも右に傾き居眠れり足元に置くスポーツバッグ

 

     国を思ふ   八首

  国を思ふまなざし遠く見据ゑたり陸軍創設者の銅像

  蛇皮線に軍歌奏づる大鳥居 進軍喇叭吹く木下闇

  近代のこの国が経し戦ひに海戦多し 灯籠に彫る

  神妙になには節聞く青き目が節目にくれば手をたたきけり

  零戦を間近に見ればさみしもよ技術の粋と言へど幼き

  責を負ひ血に染まりたる白絹も古りて黒ずむ戦史回廊

  軍令のおもむくままに死ににけむ 鳩、馬、犬の魂祀る

  はるかなるビルマ戦線しのべよと軍靴、地下足袋、軍馬の遺品

 

  たんぽぽの吹く風にゑみたまふ六道地蔵磨崖の仏

 

     遊行かぶき   七首

  本堂の遊行かぶきに集ひたる七十人の客をさびしむ

  御仏に向かひて舞台作りたり「中世悪党伝」の第二話

  悪党が現世を制すおほみやの巫女が惚れたる新田義貞

  太平記 鳩首擬議に明け暮るる烏帽子の影が鴨居に映る

  皺々の鳥獣戯画の幕張りて観客誘ふ中世の闇

  尊氏の屍のそばにゐてやらう 太刀に添へたる山吹の花

  しんしんと畳冷えくる本堂の明かりに浮かぶ菊水の旗

 

  コンテナを咥(くは)へて長き首垂るるキリンのリフトが並ぶ港湾

  猪の十頭分の皮干せり猟犬供養塔前の竹竿

  献灯の小さき蝋燭点りたり風を防げるガラスの箱に

  「極楽往生素懐(そくわい)遂ぐ」住職の立て札ありて山門閉ざす

 

     国を思ふ(続)   九首

  残されし印鑑、眼鏡、階級章 陳列棚に顔寄せてゐる

  軍刀と辞世の歌に青ざむるこの国の経し戦のかたち

  空仰ぐ特攻勇士の銅像に春の光ののどけからまし

  十八キロの射程もちしが沖縄を守り得ざりしなる 

  境内に力士が並ぶ例大祭相撲を国技と決めし人はや

  昼休みサラリーマンが煙草吸ふ裏の木陰のベンチ

  落下傘部隊のさくら散りにけり その木に懸かる「空の神兵」

  玉砂利に昨夜の雨のしみ出でて散りし花びら色鮮しき

  どこにゐる風のを持つ少女 ばら色の臍を見せて笑つた

 

     迷ひ鳩   五首

  夕去りてわが帰り来し玄関の脇に鳩見るガス給湯器

  都合よき視野と高さとやすらぎのガス給湯器上の空間

  箒もて追ひ払へどもさみしらにまた戻り来る廊下の手すり

  細き身に幼さ残る青首の鳩はきよときよとあたり見回す

  暑き夜を開けて寝ねたる玄関のドアに止まりて鳩眠るらし

 

  みちのくの野に一軒の蕎麦屋あり遊行柳を見るとろろそば

  くはへ来しパン屑池に落ちたれば口開く鯉を鴉は覗く

 

     円覚寺   八首

  山門を仰げば涼し病葉のひとつ散りたる朝の石磴

  十王堂敷居に活くる白き花一輪ありて弓引き絞る

  墓石に胸像添ふるありし日の田中絹代は朝日背負へり

  草刈りの籠を背負ひて帰り来し修行僧ふたり恥ぢらふごとし

  錆色の泰山木の花影を見上げてすする抹茶一碗

  水引の花の一筋触れにたり切株に彫る千手観音

  山百合の花を供へてほのじろき御堂にたたす聖観世音

  しほれたる花束いくつ「高瀬家」の墓は円覚宗源の書

 

     駆け込み寺   五首

  駆け込みの女が持てるもの五つ鏡一つとあるをあはれむ

  「つひそこのやうに駆け出す松ヶ丘」江戸の人情を川柳に見る

  先まろき大小二本の筆見れば書は人柄か鈴木大拙

  谷戸の墓地文人あまた眠れるに水穂、光子は歌碑並べたり

  かなかなのかなしき声にしづもれり和辻哲郎、西田幾太郎

 

  麺麭屑を喉につまらす鳩もゐて昼騒がしきベンチのめぐり

  鰓(えら)に指入れて掻き出す赤きを流す磯の満ち潮

  包丁の鋼に匂ふしたたりはわが望郷のトマトなりけり

  数ふればあまりに多き蝉の穴鳥肌たてて少女坐れる

  水草の茂みに棲める白き蟹わが足音に両目立てたり

  川縁に小屋建てて住む人もあり風に臭へるもの焼く煙

  宝籤当たらば那須に土地買ひて子等と住まはむ「あ、バスが来た」

  躓きて靴の爪先口を開く買ひて間なきにこの意気地なし

  青白き水をたたへて流れたり瞬時車窓に映る揖斐川

  背と胸に凝りし脂肪を切り出せる妻の傷跡今日もわが舐む

  老人の落鮎釣りの囮鮎仲間一尾をつれてあがりく

 

     たまゆら   七首

  羊水に浸りて育つ勾玉のかたちなしたる原始のいのち

  水無月の風に吹かるる病院の闇に眠れる母と胎児と

  ゆふらりと池に緋鯉の浮く見れば胎児のいのち思はるるかも

  陣痛を起こして堕す臍の緒のちぎれて終はる命なりけり

  一尺の男の子の胎児五百グラム ハンサムなりきと息子は告げ来る

  半年を妻の手に彫る慈母観音嫁に見せむと気負ひしものを

  荼毘に付す胎児の灰にはつかなる手、足、頭の骨残りしと

 

  噴き出でし地底のガスにただれたる山の狭間に地蔵が並ぶ

  米軍のブラスバンドを先触れに箱根大名行列がくる

  早川に噛みつくごとくなだれ入る石の鱗の蛇骨川はや

 

     題詠「靴」

  年金のしくみを妻が言ひ立ててこの先もまだ働く靴は

 

     大雄山   十首

  大杉の木立の色に馴染みたるあかがね色の山門が立つ

  鐘をつき木魚たたける大雄山音のリズムに信仰は生る

  大雄山の溜めたる水が流れ出づその絶え間なき音のはげしさ

  方丈の柱背にして目つむればやがて遠のく瀧水の音

  奉納は横浜和合睦会白き鼻緒の赤き大下駄

  山に入り消えたる人を探さむと写真掲げて三年経ちぬ

  三体の不動明王立つらしき暗き御堂に目をこらしゐつ

  山雀が餌箱にくる奥の院もみぢ間近き山の中腹

  朽ちてなほ姿勢くづさぬ大杉のありし日の影偲ぶ青空

  大杉のあまりに太き幹なれば大雄山はため息をつく

 

     萩の寺   五首

  あまやどりかねて入りたる本堂に仏像並ぶ白萩の寺

  はしやぎて護摩木に書けるそれぞれの願ひ見せ合ふ御仏の前

  福招きはた縁結びしなやかに身体伸べたる鴨居の天女

  覗き見る我の姿を映したり閻魔大王前の鏡は

  のぞき見る網戸の奥の歓喜天紅灯あれど姿を見せず

 

  出会ひたる蟻なにごとか言ひ交はしまたそれぞれの道を歩めり

  あからひく朝日の杜にひよどりの声たからかに秋をことほぐ

 

     上野の森   八首

  青銅の糸に石片つなぎたる鎧兜は貫きがたし

  大洋に船を浮かべて空を見る等身大の船漕ぎ俑は

  襟巻と厚き衣をまとひたる文官俑はひよろひよろと立つ

  白濁の闇を包めり四千の玉片つなぐ金の針金

  全身をに覆はれし漢の貴族をうらやむなゆめ

  山なせるふるき陵墓を掘りたれば瓶かぐはしき死者の厨房

  仏頭も、飛天もばらばらに今に残りて光返へせり

  髭長き朱面の胡人なれ二千四年の人目にさらす

 

     河口   六首

  橋桁の下に並べる青き小屋人棲む息の鋭く臭ふ

  川縁に棲みて魚釣るホームレス鈴高鳴れば鯉かかるらし

  釣り人のウキ見て並ぶ四、五人が竿あげ時を口々に言ふ

  血管のまとひつきたる骨組が白き息吐く埋立の島

  ひむがしの空ゆ飛び来る飛行機の着陸姿勢釣り竿の先

  行く先は宮崎日向浮島のフェリーのりばに秋の灯点る

 

円覚寺