時制の変調
斎藤茂吉の歌集のあれこれを読むと大半の歌は、旅や日常の報告である。丁寧に詞書が付いている場合もあるので、更にその感を深める。例は枚挙にいとまないが、昭和五年、長男・茂太が十五歳になったのを機に、一緒に出羽三山に参拝した折の一連が『たかはら』にある。弟の高橋四郎兵衛と山の先達を含めて一行四人。足跡が分かるように詞書と歌が続いている。そこで気付く。短歌なので、五・七・五・七・七の韻律を前提とするが、「報告を詩にするものはレトリックである」と。茂吉のレトリックに関しては、小池光さんがまとめている(岡井、永田との共著『斎藤茂吉―その迷宮に遊ぶ』の中の資料)。以下では、それに追加するレトリックとして、時制の変調ということをあげる。
三年(みとせ)まへに身まかりゆけるわが兄は黒溝台戦に生き残りけり
『暁紅』
元和二十年十月二日にみまかりし慈眼大師は長生(ながいき)をせり
『白桃』
午飯(ひるいひ)を此處に済ますと唐辛子の咽(のど)ひびくまで辛きを食ひぬ
『たかはら』
私が茂吉の歌集を読み始めた頃、最初に驚いたのは、黒溝台戦の歌であった。上句で死んだと言いながら、下句で生き残ったときたからである。通常は、黒溝台戦に生き残ったが、三年前に死んだという順序で書かれるはずである。慈眼大師の歌も同様。
唐辛子の歌では、午飯を済ました後で辛い唐辛子を食ったように一瞬思ってしまう。
ここでは、助詞「と」の意味・働きが曲者。午飯を此處で済まそうということで、あれこれ食ったのだが、とりわけ唐辛子を印象的に取りあげたのであった。読む順序に従って時間も経過するという潜在的感覚が見事に裏切られる。