身体の部分を詠むー顔 (1/7)
顔には、かんばせ、面(めん)、おもて、つら などの呼称がある。顔は人の容姿の美醜を象徴する部位として詠まれることが多い。特に古典和歌においては、乙女の顔は美しいものとして扱われる。自分の顔を詠む時には、おおむね苦悩や憂いを持つ部位として表現される。
多胡(たご)の嶺に寄綱(よせつな)延(は)へて寄すれどもあにくやしづしその顔よきに
万葉集・東歌
*「(多胡の嶺に寄せ綱をかけて引き寄せるように)あの娘を靡かせようとしてもそ知らぬ顔をしている。その美しい顔で。」という意味。上野国の相聞往来の歌。
浅ましや見しかとだにもおもはぬにかはらぬ顔ぞ心ならまし
拾遺集・読人しらず
*「呆れたことだ、あの人の顔を仄かに見ただけで、とてもはっきりと見たかどうかさえ分からず、記憶に残るはずはないのに、今も変ることなく面影が思い浮ぶのは、自分の心がそうさせているのだろう。」<仄かに逢い見た人の面影がいつも思い浮かぶことの理由付け。愛情の深さのなせるわざとする>
心をばつらきものぞといひ置きてかはらじと思ふ顔ぞこひしき
拾遺集・読人しらず
*複雑な情景に思えるが、「心は薄情なものよと言いおいて去った君だが、わたしへの愛情は変わらないはずと思う君の顔が恋しい」といった意味だろう。
うつくしきをとめの顔がわが顔の十数倍になりて映りぬ
斎藤茂吉
鏡とり能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ泣き飽きし時
石川啄木
毛髪を解かむ鏡にうつりゐてわが顔の原寸ある怖れ
葛原妙子
輸送車に顔覆はれてゆく我の昇降機は降る加速度もなく
大岡 博
*難解な歌である。輸送車と昇降機とはどんな関係にあるのか? また、「顔覆はれてゆく」とは、だれが顔を覆ったのか? 下句は、視界を遮られている作者の体内感覚と理解するしかない。