夢を詠う(4)
古典和歌の場合、夢は現と対比させて詠むことが多い。
みる夢のうつつになるは世の常ぞ現のゆめになるぞかなしき
拾遺集・読人しらず
夢とのみこの世の事の見ゆるかなさむべき程はいつとなけれど
千載集・永縁
夢にのみむかしの人をあひ見れば覚むるほどこそ別れなりけれ
金葉集・永縁
つらかりし心ならひに逢ひみてもなほ夢かとぞ疑はれける
金葉集・源 行宗
うたたねに逢ふと見つるは現にてつらきを夢と思はましかば
金葉集・藤原公教
ゆめにだに逢ふとは見えよさもこそは現につらき心なりとも
金葉集・藤原実能
逢ふと見てうつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞ命なりける
金葉集・藤原顕輔
夢ならでまたも逢ふべき君ならば寝られぬいをも嘆かざらまし
詞花集・藤原相如
一首目:意味は「見る夢が現実になるというのは、世の中の常識だが、現実が夢になるとはなんとも悲しい。」独特な把握で納得させられる。
三首目の作者・永(よう)縁(えん)は、平安後期の法相宗の学僧。歌をよくして『金葉和歌集』に13首収録されている。そのうちの「聞くたびにめづらしければ郭公(ほととぎす)いつも初音の心地こそすれ」から、初音僧正と呼ばれた。
藤原顕輔の歌は、夢の中であなたと逢ったとしても現実にどうなるわけでもないのだが、それでもこんなはかない夢が、私の命なのだ、という。凝った構文である。