水のうた(12/17)
水西書院の坂をくだると踏み張れる背に側溝の水声聞けり
音羽 晃
*水西書院は、岩国市登録有形文化財で、明治19年に建てられた旧岩国藩主吉川家
の仮住居。後に吉川家の別邸、接客所として利用された。
ひろびろと水のおもてに吹く風は絶ゆることなくかがやきを生む
伊藤雅子
大空にひかりの柱顕れて嗚呼とみるまに水ほとばしる
森山良太
日本の水思ひたる砂漠の夜地平に低く星清かりき
高橋宗伸
カレーズの水と思へばひと口の水もたふとしかみしめて飲む
高橋宗伸
*カレーズとは、アジア西部、北部アフリカなど乾燥地帯にみられる水利施設。
地下水を、長い地下水路によって集落近くまで導き、利用するもの。
アフガニスタン,トルキスタンではカーレーズと、シリア,イラク,北アフリカ
などではフォガラと呼ばれる。
ときじくの梅花藻の花水深く咲きつつ稀に水出でて咲く
秋葉四郎
*梅花藻とは、キンポウゲ科の多年生水草。清流中に生育する。葉は三、四回
分裂して糸状の細裂片に分かれる。夏、水面上に花茎を出し、梅花に似た径
1~2センチメートルの白花を開く(大辞林による)。
地下水系ここに果てたる由布の水のめば軀幹に山のこゑする
伊勢方信
*由布の水とは、大分県の由布院において、温泉掘削工事で、地下240m地点で
岩盤を突き破り、地上60m噴き上げた冷鉱泉水で。飲用・浴用・養魚等に最適
な水と判明。
水のうた(11/17)
地の低きところに水は溜まりいて夕陽の沈む浜名湖を過ぐ
黒住嘉輝
*上句で浜名湖の状態を述べたのだが、浜名湖に限らない。しかしあらためて
言われると説得力を感じるから不思議。
まっすぐに落ちる水あり眼裏が河馬の欠伸のように明るい
今井恵子
*まっすぐに落ちる水を見ていた時の印象を、下句のように表現したのだろう。
テンペラに描きこまれたる水はわが一生(ひとよ)見ざらむ洗礼の水
大口玲子
*テンペラとは、顔料を卵・膠(にかわ)・樹脂などで練った不透明な絵の具。また、
それで描いた絵画。15世紀に油絵の具が発明されるまで、西洋絵画の
代表的手法であった(デジタル大辞泉による)。 洗礼の水を見ることは、
一生のうちでもないだろう、とは頷ける。
秋水とひびきあひつつ白月はひかりの髄となりてそそげる
春日井建
秋の水きよらに満ちて本流へ入りゆくきはを白く荒れゐつ
小中英之
洪水に溶け出だしたるみずぐきをきのう異土へと運べる潮
山田消児
*みずぐきとは、筆、筆跡、手紙などを意味する。また異土とは、故郷・故国と
異なる土地。異国、外国。 洪水に流された手紙の行方を思いやっているようだ。
寒の水ひと息に飲み少年の夜更けをくぐる玉すだれ鳴る
加島あき子
*寒の水ひと息に飲んだ時の感想を、下句のように表現したのだろう。
水のうた(10/17)
洪水だあ、とはしゃいでたのは私です むろんヨーグルトに
なっちまいましたが 加藤治郎
*このような作品を読者はどのように解釈するだろうか。それで
どう評価するだろうか。上句は牛乳の入った瓶をひっくり返して
はしゃいでいる情景。下句は時間が経って牛乳が固まり始めた
情景、と想像できるが、ちょっと無理だろう。
水面を風わたるときもとどまりてこの世に馬もわれも夕映え
井辻朱美
*この世にとどまって馬もわれも夕映えている、とは詩的な表現
だが、自己陶酔で甘すぎないか。
水の舌しきり草根を洗ふとぞ慰撫のごとくに溢水(いつすい)前夜
安永蕗子
*溢水とは、水があふれ出ること。水をあふれさせること。
その前夜に草根を慰撫するように水が洗う、と詠う。「水の舌
しきり」という擬人法が生々しい。
逃げ水が逃げなくなってゆわゆわと近づくごとしたとえば老いは
松平盟子
いづくより射しくるものか川幅の蛇行につきて水あかりせる
森比佐志
石投げて川のおもてを耐へしかば寄り添ふやうに水の輪が閉づ
池田はるみ
簗の簀へ狭められつつ水の面が馬の背のごと盛り上がりくる
岡崎康行
水のうた(9/17)
草小田のうちゆがみたる畦を来て堤のつづき水の輝く
片山貞美
*わかるようでわからない情景。
水打たれたちなほる草 草に花 花に露おくことのたのしさ
藤井常世
*「花に露おく」とは、打った水が流れた後に花に残っている水滴だろう。
その情景がたのしい、とは分かる気がする。
陽のあたる山翳る山いくひだを穿ちてみづは回廊をなす
岸上 展
*山々の内部の水流を想像していて面白い。
原木の灰汁(あく)の溶けたる水の面に雲のきれゆく大空のいろ
青木佐喜子
*「原木の灰汁(あく)の溶けたる水の面」は濁っているのではないか。そこに雲や
大空は映るものだろうか、という疑問が起きる。
水明りたどりてゆかばいつの夜かわがたましひの癒ゆる江あらむ
光栄尭夫
*観念的で、情景も抽象的。
みなかみの激(たぎ)ちの音のはろばろしこの渓谷の村をまた過ぐ
成瀬 有
*旅人の姿が彷彿とする。
だぶだぶと岸をゆるがす水の辺にわが影しずむ瞬時をみている
木尾悦子
*水面に映ったわが影が、一瞬「しずむ」と見えたとは、不安な心情にあった
ことを思わせる。ただ客観的なので深刻さは感じない。
水のうた(8/17)
人はきて憩いているや灯(ひ)に染まり黄に照る水の仮象の色に
武川忠一
単純に流れぬ水のゆくえなど心けわしき夜は思うも
武川忠一
ひかりつつ暗渠ゆながれおつる水涎(よだれ)のごとくこほりつきたり
時田則雄
*暗渠とは、地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路のこと。
水面に刺さる一瞬水ならず輪をひらきつつ走る雨脚
時田則雄
*走る雨脚の躍動感。
腹這ひて論じぬおなじ水脈のみづに育てば草も樹も朋
時田則雄
*「腹這ひて論じぬ」が特異な情景。
舗装され逃げみづ冴ゆる村の道しんと向かうの真昼へつづく
牛山ゆう子
*逃げ水とは、風がなく晴れた暑い日に、アスファルトの道路などで、遠くに
水があるように見える現象で、近づいてもその場所に水はなく、さらに
遠くに見え、まるで水が逃げていくように見えることからこの名前が
つけられた。(『ウィキペディア(Wikipedia)』から)
かがやきて落ちくる水の裏側にわおんわおんと岩ひびきをり
春日真木子
水のうた(7/17)
疲れたるまなこもてみよガラス戸の水一滴のなかのゆうぐれ
村木道彦
水明りのごときもの見え炎見え広野に充つるしづかなる声
石川一成
水明りのごときもの見え木(き)草(ぐさ)見え日の暮れ蒼く湿原は澄む
石川一成
いまわれの手にて汲みつつある水をまなこと呼べば星も鎮めり
由良琢郎
青き葉や花の鉢並ぶる江東区清澄町は水の匂ひす
河野愛子
山ふかく湧きいづる水の秋されば孤独独一とつぶやきにける
安田章生
噴く水のかがよひの下とどかざる飛沫にひらく千の口見ゆ
竹山 広
暗がりに水求めきて生けるともなき肉塊を踏みておどろく
竹山 広
村木道彦の一首から感じられる疲れは、一時的のようでもあり、生活からくるようでもある。彼の作歌活動時代を反映したものと読める。
石川一成(1929~1984)は、千葉県出身、佐佐木信綱に師事。湘南高校や中国で教鞭をとったが、交通事故で急逝。掲出の二首は、初句二句が共通だが、情景は異なる。まさか同時期に詠まれたものではないだろう。
由良琢郎は、歌人、国文学研究者だが、今年5月に87歳で亡くなった。掲出の歌は、下句に独特の感性を感じる。
河野愛子は、栃木県宇都宮の出身。「アララギ」入会。その後、結核のため千葉郊外の療養所に入る。近藤芳美を中心とする「未来」創刊に参加。享年67。河野愛子賞が創設された。
竹山 広の二首は、いずれも被爆体験の歌である。
水のうた(6/17)
かなしみはつひに遠くにひとすぢの水をながしてうすれて行けり
前川佐美雄
*一筋の水に悲しみをのせた。
藪かげゆ小舟にのりて水たぎつ鬼怒川わたりぬ春の寒きに
古泉千樫
*激流の鬼怒川を小舟で渡った思い出
撒水のいち早く消え道白く過ぎし孤独の日に続きをり
島田修二
*水が消えた後の道に過去の孤独の日々を思った。
春の水みなぎり落つる多摩川に鮒は春ごを生まむとするか
馬場あき子
*春の多摩川に生命力を感じた。
青(あお)水沫(みなわ)五月は涼し女手に滅ぼししものいまだなかりし
馬場あき子
*青水沫とは、青い水の泡のこと。「みなわ」は「みなあわ」(「な」は「の」の
意味の格助詞)の音変化。水の泡。はかないことのたとえにもいう。
かすかなる一すじのしらべつづりつつ蛇口より落ちて地に光る水
大野とくよ
*一筋の水に調べを聞いた。
ゆたかなる水のおもてに導きて舟着きの細き板のひとすじ
高安国世
*細い板を渡した舟着き場の情景