食のうたー米、飯、ごはん(6/6)
壜の米棒もて搗ける母の後姿(うしろ)しのつく雨を見てありしかば
島本正靖
*戦後の家庭で見られた懐かしいような風景。
米煮ゆる匂ひ立ちゐて短歌的抒情の骨子いやしまずゐる
石橋妙子
*米が煮える匂いが立ち込める情景は短歌の抒情に合うという。短歌に詠むことは決して卑しいことではない。
水鳥の羽撃くごとき音立てることあり闇に煮えてゆく米
王 紅花
生き残る必死と死にてゆく必死そのはざまにも米を磨ぎゐつ
雨宮雅子
みまつりの三日をそらははれわたる健治よ岩手の米はうまいぞ
馬場昭徳
二合炊きて二人食ひ猫の分にすこし残さむ暑き夏の日
長谷川銀作
そこに出てゐるごはんをたべよといふこゑすゆふべの闇のふかき奥より
小池 光
*少年の頃の思い出か。外から家に帰ってくると電気もつけない家の奥から「そこに出てゐるごはんをたべよ」という声が聞こえたのだ。
老いた母 太肉(ふとじし)の母 若き母かさなりて呼ぶ ごはんにしましょ
日高尭子
*若いころ、中年太りのころ、老いてからも いつも母は「ごはんにしましょ」と呼びかけたのだ。懐かしい母の面影。
食のうたー米、飯、ごはん(5/6)
闇なかに面寄せて食ふ白飯は飴のごとくに咽喉くだりゆく
大内與五郎
*シベリア抑留中の経験であろう。
白飯のひしめく湯気を手もてあふぐ 人はほろびに至るにも
森岡貞香
*葬式の食事に出された白飯を食べる場面であろう。
あたたかく真白き飯(いい)よ神のごとわがうつしみの前にかがやく
川端 弘
駆落ちの二人の如く白飯をせせり食ひたり武州小川宿
上條雅通
かなしみに手は従はず甲斐甲斐しく夕べ白飯(しろいひ)に酢をうちてゐつ
肝を病む夫が好みに単純化さるる夕餉のぬくき白飯(しらいひ)
筒井早苗
*肝臓を病むとおかずの選択に困ってしまう。温かい白飯だけは、安心して食べられるのだ。
白飯に恋しき人がゐたりけりふうふうと吹く恋しき人を
池田はるみ
*白飯を恋人のように好む人がいたのだろう。
白飯(しらいひ)をよそはむとして声をあぐ雪の朝(あした)の陶(すゑ)のつめたさ
平田利栄
食のうたー米、飯、ごはん(4/6)
食初めの飯一粒をみどり児はいぶかしみつつ舌もて押し出す
植松壽樹
さやぎ合ひ飯食ふことも幾年かすぎて思へば朝寒(あさざむ)の中
岡井 隆
*楽しく食事していた時期があったのだ。幾年かたってそれがなくなってしまった。家庭崩壊が起きたのだろう。
おのれ炊き飯(いい)を食みおり飯の白遠くなりつつ雪のふるおと
香川 進
冷飯に汁かけて食ふ妻のしぐさ不きげんの時と吾は知りをり
五味保儀
*奥さんが冷飯に汁かけて食いだすと、確かに不機嫌なことが一目瞭然であろう。
人と人和してゐるころ木のにほひ火のにほひする飯(いひ)食みてゐき
伊藤一彦
飯をくう顔がさみしい男でも笑う位はたのしく出来る
高瀬一誌
何かして居らねばならぬ気持にて飯炊き飯はくろく焦げたり
小暮正次
*何かしなくては思って飯を炊いたら黒焦げの飯になった、という。家庭生活の分担が思いやられる。
「めし」と大きく書く食堂の暖簾(のれん)あり浪花の覇気は江戸にまされり
岩田 正
*食べることに関しては江戸は浪花に負けるのだ。大阪の食い倒れ、というくらいなのだ。
食のうたー米、飯、ごはん(3/6)
虎杖(いたどり)のわかきをひと夜塩に漬けあくる朝食ふ熱き飯にそへ
*虎杖: 山野に自生するタデ科の多年草。高さ約1.5メートル。若い茎は酸っぱいが、食べられる。
出でゆくと飯いそぎ食ふ弟を見れば立ち入りてもの言はざりき
五味保儀
み枕べ去らむとするを押しとどめ飯食ふさまを見よといはしぬ
岩津資雄
*結句の「いはしぬ」の意味が不確か。「病人の枕もとを去ろうとすると隣の人が押しとどめて、病人がご飯を食べるのを見なさい、とおっしゃった。」と解釈したい。
飯の数減りゆくときは負けまじき気負ひごころも病み衰へぬ
小名木綱夫
*病んで飯の数が減ると、負けん気も衰えてしまった。
自らの食はむ飯焚くゆふまぐれ釜に灯のつくひとつ安らぎ
千代国一
顔も手も飯粒(めしつぶ)まみれに食ふさまやこの子は頸(つよ)く生ひたたしめむ
筏井嘉一
注意して入れても口をこぼれ出る産地不詳のこの飯粒め
竹山 広
*肺結核で入院していた戦時中の病院での食事の心象風景だろうか。
麦飯の遠き力やわがおもひしづかに暮れて世界と違(たが)ふ
岡井 隆
*麦飯の歴史は古く、平安朝のころからあったらしい。かつて麦飯は米の節約の目的で食べられたが、現在は健康上食用されることが多い。腸内乳酸菌の増殖や便秘防止、またビタミンB1補給に役立つ。
「冷や汗」という名物の料理あり何のことはない麦飯に汁かけて食う
浜田康敬
食のうたー米、飯、ごはん(2/6)
日本人が日常に米を食べるようになるのは新しい時代で、古くはひきわり麦が一般的な主食であった。「白飯」は、神に供えてからお下がりを食べた。
冷飯に湯をかけ食ひつつわがむかふ庭には紅し芍薬の花
松村英一
それとない監視を背(せな)に感じつつわれ差入れの赤飯食ふも
渡辺順三
*渡辺順三は、窪田空穂に師事したが、プロレタリア文学の動きが波及していく中で、無産者歌人連盟の結成に参加し、雑誌『短歌戦線』の中心的な役割を演じる。その関係で、戦時中には弾圧を受け、検挙される。
清らけき山の水にて炊きくれし白飯(しらいひ)のゆげに眼鏡くもりぬ
山下陸奥
つつがなく帰れる吾の飯食ふを父は火燵に見てゐたまへり
藤沢古実
黄に濁る河水(かすゐ)にかしぐ飯(いひ)はみてつつがはなしと互(かたみ)に書くも
宮 柊二
*かしぐ: この歌の場合は、「炊ぐ」で飯をたくという意味。
つつがなし: ツツガムシに感染していないことから転じて,〈無病〉の状態をいう。
めし粒をこぼしつつ食ふこの幼(をさな)貧の心をやがて知るべし
長澤一作
白飯の上に香にたつ紫蘇の実を置きて悲しむ頼むもの無し
握り飯を食いつつ見ている一滴の水に写れる世界のかぎり
食のうたー米、飯、ごはん(1/6)
衣食住のうちの食を詠んだ歌に注目してみよう。ただし、個々の食品をとりあげるときりがないので、基本的なものにかぎる。先ずは米、麦、飯について。飯は米や麦を蒸したもの。飯(いひ)の「い」は接頭語、「ひ」は霊力を表す。たべることによって力となる。
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
味(うま)飯を水に醸(か)み成しわが待ちし代(かひ)はかつて無し直(ただ)にしあらねば
万葉集・作者未詳
*直訳は、「美味しいご飯で酒を造り、あなたと一緒に飲むのを楽しみに待っていたのに、その甲斐は全くありませんでした。あなたご自身が来られたのではなかったのですから。」
歌の背景がややこしい。別れた夫が恋しくて、酒を造って待っていたのに、男は別の女を娶って来れずお土産だけが届いた。それを恨んで元の娘が詠んだ、という。
しなてるや片岡山に飯に飢ゑてふせる旅人あはれ親なし
*聖徳太子と飢えた人が大和国葛城(奈良県北葛城郡王寺町)の片岡山で遭遇する伝説を踏む。
飯乞ふとわが来しかども春の野に菫摘みつつ時をへにけり
*乞食に出てきたのだが、春の野に咲く美しい菫に魅せられて、それを摘むことに時間をとられてしまったのだ。いかにも良寛らしい。
牛飼の子等に食はせと天地の神の盛(も)りおける麦飯(むぎいひ)の山
平賀元義
*平賀元義は、幕末期岡山の国学者、歌人、書家。本人は余技とした万葉調の和歌が正岡子規に評価され世に広く知られることになった。この歌の「麦飯の山」は、岡山県玉野市槌ヶ原にある山で、麦飯山(むぎいさん)と呼ばれる。この山の名称ならびに形状から、国土創生の神に思いを馳せて詠んだ。
ひたすらに病癒えなとおもへども悲しきときは飯盛りにけり
長塚 節
われ二十六歳歌をつくりて飯に代ふ世にもわびしきなりはひをする
吾(われ)と嬬(つま)は寒き朝あけ飯くふと火鉢のふちに卵わりをり
結城哀草果
衣のうたーコート(2/2)
皺くちゃのレイン・コートの襟正し、卒業生を見送っている
天涯はみどりの孤独ここはどこ レインコートのえりたてるかな
村木道彦
川にそそぐ雨白々とさびしきにレインコートの裾濡れて行く
近藤芳美
バーバリを吹かれ帰らん人絶てる今日すずかけの冬となる街
近藤芳美
*バーバリ: バーバリ社が製造したトレンチコート(冬季用の外套およびレインコートの一種)。
肩の高さひどく違へてつるされたトレンチコートの抱いてゐる熱
亡き父のマントの裾にかくまはれ歩みきいつの雪の夜ならむ
大西民子
黒マントの裾ひるがへしゆく女跳ぶか飛ぶかとただ従(つ)きてゆく
富小路禎子
オーバーにつきし枯草うす白く見て立つ時は早や嘆きをり
河野愛子
灰色の中折黒インバネス 心蕩ける思い出あらず
*インバネス: インバネスコートの略。男性用の外套の一種で、丈が長いコートに、ケープを合わせたデザインを持つ。
朝々をダウンコートの裂れ目より子は白き羽根落としては出づ
森岡千賀子