田畑のうた(5/8)
二三時間前に水張り終りたる田なかはすでに泳ぐ虫あり
浜田康敬
ひとり田を掘り返しいる老婆いてしきり降る雪を土に埋めゆく
浜田康敬
休耕田のむかう小手毬の吹かれゐてかはたれどきをかむなぎの舞
長尾朝子
*かむなぎ: 神に仕えて、神楽を奏して神意を慰め、また、神降ろしなどをする人。
宇宙塵いくたび折れて届きたる春のひかりのなかの紫雲英田(げんげだ)
玉井清弘
*宇宙塵とは、宇宙空間に存在する星間物質の一つで、大きさは10ミクロン以下。地球上にもそのまま落ちてくるが微細なため他のごみとの判別が困難。
下句が即ち宇宙塵というのか、そうではなく上句で「春のひかり」を修飾しているのか? なんとも分りにくい!
山峡の棚田は四角も眉形もありて夕ぐれを黒く光れる
大塚洋子
さやさやの青田のなかに杭ひとつ鴉の去ればまた杭ひとつ
砂田暁子
人間の技美しき早苗田が水を呼び水が夏雲を呼ぶ
三枝昂之
田畑のうた(4/8)
峡ふかきかたむく棚田に田(た)下駄(げた)穿き頬冠る農婦のろく稲刈る
結城哀草果
新(にい)みどり濃き谷底の一枚田このゆふかげに田植ゑゐる見ゆ
中村憲吉
見下しの棚田の面に浮苗は片寄りにけり日本の平和
宮 柊二
*浮(うき)苗(なえ): 田植え直後、あるいは小さいころに根が土中に固定せず浮動する稲の苗をさす。
やまぐにの階段状の田を拓きしとほき沈黙の大音階
*上句にみる祖先たちの圧倒的な努力を「とほき沈黙の大音階」と賛美したのだ。
百段(ももきだ)の田をつぎつぎにひたしゆく水の下降(かかう)に涙湧きくる
皺われし冬田見て過ぐ長男として血のほかに何遺されし
登熟期に入りたる稲田のおだしさをある夜はいひて嬬の寝ねしか
轟 太市
*稲の一生は、前半の苗が成長して稲になり、穂を出すまでの「成長期」と、後半の、稲穂に炭水化物を送り込んで栄養を溜め込む「登熟期」からなる。
田畑のうた(3/8)
段々の田を落ちめぐる水のこえ烈しき雨のなかにうたえり
草野比佐男
をつくばの山かきくもり葛飾や苗代小田に小雨ふりきぬ
加藤千蔭
女郎花ふさたをりにと来し君は妹が門田に穂むき見がてら
*本居大平: 伊勢国松坂出身。13歳で本居宣長の門に入り、寛政11年に宣長の養子となる。 宣長の祖述につとめ、宣長の実子・本居春庭の失明後は家督を継いだ。紀州徳川家に仕え、侍講などをつとめた。
田に並べし新藁束も家の妻にこの日かへるになつかしきもの
島木赤彦
吾妹(わぎも)らが足裏よろひに刈(かり)杭(ばね)を踏みわたりつつ植うる
新墾田(あらきだ) 吉植庄亮
*刈杭: 根の付いた木の切り株。
大和路は田圃をひろみ夕あかしいつまでも白き梨の花かも
木下利玄
これの田を植うるにあらし畔の上に早乙女(さをとめ)ならべり十五六人
古泉千樫
田畑のうた(2/8)
いくばくの田をつくればか郭公しでのたをさを朝な朝なよぶ
*「どれほどの田を作っているからというので、ほととぎすは、「シデノタヲサ」と鳴いて、あの田植えの統率者である、しでの田長を毎朝毎朝呼ぶのか。」
春の田を人にまかせて我はただ花に心をつくるころかな
谷水をせくみな口にいぐし立て五十代小田(いそしろをだ)に種まきてけり
堀川百首・藤原仲実
*みな口: 水の取り入れ口。
いぐし: 榊や笹などの小枝に幣をかけて神に供えるもの。玉串。
秋来れば朝けの風の手もさむみ山田の引板(ひた)をまかせてぞ聞く
*引板: 吊るした板を引いて鳴らす、鳥獣よけの仕掛け。
「もう秋になったので、夜明けの風は手に寒く、引板を鳴らすのも辛い。風の吹くのに任せ、板が音を立てるのを聞くばかりだ。」
春風は吹き初めにけり筑波嶺のしづくの田居や冰(こほり)とくらむ
油谷倭文子
ふる雨と照る日の恵みまちまちに高田くぼ田も神のまにまに
荷田春麿
田畑のうた(1/8)
我々が田畑での農作業を見かけたり、その様子を短歌に詠んだりすると懐かしさを覚えるのは、弥生時代からの日本人の遺伝子によるのであろう。
わが門(かど)に禁(も)る田を見れば佐保の内の秋萩薄(すすき)思ほゆるかも
万葉集・作者未詳
*「我が家の門のあたりの田を見張っていると、佐保の里の秋萩やすすきが思い起こされる。」
住吉(すみのえ)の岸を田に墾(は)り蒔きし稲のさて刈るまでに逢はぬ君かも
万葉集・作者未詳
*「住吉の、岸を田に耕して蒔いた稲を、こうして刈るまで、ずっとあなたに逢っていません。」
あしひきの山の常陰(とかげ)に鳴く鹿の声聞かずやも山田守らす子
万葉集・作者未詳
我妹子(わぎもこ)が赤(あか)裳(も)ひづちて植ゑし田を刈りて収(をさ)めむ
倉(くら)無(なし)の浜 万葉集・柿本人麿
*倉無の浜: 中津市の闇無(くらなし)の浜ではないかとされている。
「いとしい人の赤い裳すそが濡れるほどに、田に植えた稲を刈って、収めようにも収めきれない倉無の浜よ。」
打つ田には稗(ひえ)は数多(あまた)にありといへど択(え)らえしわれそ夜を
ひとり寝る 万葉集・柿本人麿歌集
*「たがやした田んぼには稗が沢山生えているけれど、その中から選び捨てられた稗のように捨てられてしまった私は、夜ひとり淋しく寝ている。」
人の植うる田は植ゑまさず今更に国別れして吾はいかにせむ
万葉集・狭野弟上娘子
*「どこの田んぼでも夫婦そろって苗を植えています。あなたは私と田をばお植えにならないで、越前へ行っておしまいになり、大和で一人ぽっちの私はいったいどうしたらよいでしょう。」
春まけて物悲しきにさ夜更(ふ)けて羽振(はぶ)き鳴く鴫(しぎ)誰(た)が田にか住む
*「春をまちかねてものがなしい今宵が更けてきて、羽ばたきつつ鳴くシギは誰の田に住むシギだろう。」
火山、温泉(4/4)
ゆあみして泉をいでしやははだにふるるはつらき人の世のきぬ
山の上に湧く温泉のあつくして素枯れし薄少しばかり青し
音たてて湧く湯は泥をふき上げていはほに残る白雪を染む
五味保儀
*いはほ: 巌でごつごつした大きな石、岩。
湯口(ゆぐち)より溢れ出でつつ秋の灯に太束(ふとたば)の湯のかがやきて落つ
宮 柊二
蛙鳴くひねもすの雨温泉にひたれば泥のごとき香のあり
佐藤佐太郎
*ひねもす: 一日中。
刻々に迫る揚(よう)湯(とう)の時待ち待つ丘の中腹(なから)につどへる人・人
*揚湯: 温泉を出すこと。
湯に肩を打たれて立てば悔恨の形のままに頭(かうべ)垂れたり
常磐井猷麿
火山、温泉(3/4)
足柄の土肥の河内(かふち)に出づる湯のよにもたよらに子ろが言はなくに
万葉集・作者未詳
*上句は湯河原の温泉をさす。
「足柄の土肥に湧く温泉のように、二人の仲は絶えることなどない、とあの娘は言うのだけれども」
つきもせず恋に涙をながすかなこやななくりの出湯なるらむ
後拾遺集・相模
*ななくりの出湯: 別所温泉のこと。信州で最も古い歴史をもつ温泉の一つであり、有馬温泉、玉造温泉とともに日本三大名泉。
たぎり湧くいで湯のたぎりしづめむと病人(やまうど)つどひ揉(も)めりその湯を
渓(たに)おくの温泉(いでゆ)の宿の間(ま)ごと間ごと人も居らぬに秋の日させり
もみぢ葉はてりつつ寒き山を見て濁る温泉にからだしづめむ
*初句二句のつながりが独特。
此の山の温泉(いでゆ)よろこぶ君がへに左千夫歌集も編みにしものを
箱根山出で湯めぐりのかへるさに秋なく虫のこゑをきくかな