天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

現代俳句

 通勤の車中でまだ岩波文庫高浜虚子選『子規句集』を読み続けているが、同時に俳句月刊誌で現代俳句にも目を通している。それにつけても、子規の時代からずいぶん進歩したものという感じを抱く。子規の句が幼く見えるのである。
     柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺      子規
        身をそらす虹の         高柳重信
        絶嶺
             處刑場
     涼風の一塊として男来る        飯田龍太

飯田龍太に愚直に師事して、つい最近、師の龍太よりも早く逝った俳人に福田甲子雄がいる。俳句とはこうして身に着けるものか、という一典型のような生き方をした。甲斐の風土にどっしり根をおろしてみごとに自然を感受し主観を載せて詠んだ。龍太の句境を深めた印象がある。
     斧一丁寒暮のひかりあてて買ふ     福田甲子雄
     母郷とは枯野にうるむ星のいろ
     稲刈つて鳥入れかはる甲斐の空

 危篤状態の福田を龍太が見舞った時のことを力をふりしぼって詠んだ句は、うらやましい師弟関係を髣髴とさせる。龍太は「福田さん、福田さん」と呼びかけ、額に額を当て、手をさすったという。
     わが額に師の手のふるる小春かな    福田甲子雄