天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

淋しがらせよ

 昼休みは雨なので外には出ず、小学館芭蕉全句』を読んでいたら、
笈の小文の一句
     此山(このやま)のかなしさ告げよ野老掘(ところほり)
に出会った。元禄元年の作という。
これですぐ思い出すのは、同じ芭蕉
     うき我を淋しがらせよかんこ鳥
である。これは元禄四年四月半ばから五月初めにかけて、
嵯峨の落柿舎に滞在した折の嵯峨日記に書かれた。
 さらには次の原石鼎の有名な句を連想する。
     淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守
石鼎も芭蕉の句に触発されたのであろうか。いずれも二句切れで形が
似ているばかりか、心境としても通じるところがある。


   マンションの廊下の明りいっせいに点りて淋し夜の秋
   台風のきざしの雨を光らせて遊行寺坂をバスはのぼれり