天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

作歌の現場

 北原白秋に限らないが、この時代の詩人や歌人は、歌謡の原点である『梁塵秘抄』や『閑吟集』を読み込んでいる。白秋は、さらに端唄、小唄、長唄、近世の童謡などにのめり込んだので、彼の短歌や詩には、その影響が顕著である。
白秋作の小唄に「城ヶ島の雨」がある。舟唄だが、梁田貞の作曲により名歌として普及した。途中を引用する。
          ・・・・・・・
        舟はゆくゆく通り矢のはなを、
        濡れて帆あげたぬしの舟。
        ええ、舟は櫓でやる、櫓は唄でやる、
        唄は船頭さんの心意気。
・・・・・・・
 近世期の明和八年(一七七一)に成った『山家鳥虫歌』に、「舟は出て行く帆掛けて走る 茶屋の女子は出て招く」、また鹿児島熊毛郡の艪歌に、「サテモ此船は 瀬戸内海漕ぎ送りか ヤーレー艪ではやらじで歌でやる」などと出ているので、白秋はこれらから摂取したであろう。白秋は小唄のリズムにのせて詠んだのであろうか。理屈で想像しても、実感が湧かないのがはがゆい。


         鬱の色欅もみぢを楽しまず
         日にかげるさくらもみぢや能舞台
         池の面の落葉分けゆく背鰭かな
         からころと落葉はしれる斎庭(ゆには)かな